選挙を前に考えたこと

目に見えないところで、おもてに出ない作業をしている人が沢山いる。
生きるための不条理な辛さを背負っている人が、沢山いる。
ひとりの人間が知ることができることは限られているけれど、
それらへの想像力をなくしてはいけないと思う。
たくさんのことを、知らないということを忘れないでいたいと思う。

私はこうであらねばという自分を追い立てるような思い、そういう思いにいつも追われているけれど、そんな思いなんて、なんてつまらないんだろうと思う。
どんな命も、同じ重みがある。それで十分なのだ。どの命も重みがあり、大切にされるべき存在。そして、それを個人個人が実感できる社会にすることができたら、と願う。
明日は選挙だけれど、そういう思いで投票したい。

私は社会の中で生きている。
人が生きている意味はわからない。
でもこの社会で生きている以上、この社会に果たせることはしたい。
その一つが選挙だと思う。

社会にはいろんな問題があって、私はやはり仕事で触れる患者さんから、様々なことを教えられる。精神障害者は、ある意味特別な差別を受けやすい、偏見を持たれやすい障害だと思う。
状態が安定しない。ストレス負荷に弱い状態を来すことはある程度避けられない。
だから雇う側にはリスクが大きい。安定した労働が出来ないと見なされるから。
でも、それぞれが持つ力があり、それが全く活かされないのも勿体無い。
それを生かせる社会の仕組みはないかと思う。そして就労だけではない社会との関わりや、社会の中で生きていくことを可能にする仕組みはないものかと思う。
それを社会で考えていけないかと思う。

子供を大切にするということも、本当に大事だと思う。
子供が安心して育つことができたら、精神障害はある程度減るだろう。
そして子供が安心して育つためには、親を孤独にしないことだ。
社会で子供を見守る体制を作り、一人で、一家庭だけで子育てしないで済む、いろんな個性を持つ子供をおおらかに見守ることができる。そんな環境を作ることだ。
子供の育ちに責任を持つのは、社会全体だということ、親の存在の大切さを認識しながらも(やはり愛着を形成していくために、特定の個人との関係性は大事だから)、それをバックアップするのは社会の構成員みんなの役割だという前提が当たり前のようにある社会になると良いのにと思う。

それでも、いろんな障害は生まれる。
大人になっても、多様な存在が認められることも、もちろん大切だ。

そんな存在を支え合うシステムを実現しようとしてくれる政党は何で、候補者は誰なのか。


それぞれがそれぞれでいい。
それぞれをそれぞれが支え合う。支えられていることを認識し、感謝し、でも卑屈にならない。
そんな社会への一歩になるように、願いを込めながら、明日投票しようと思う。

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