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「自分自身への期待」という執着から自由になる日

「あぁ、愛しのコンプレックス様」というリレーエッセイに参加しました。私のnoteが編集部のおすすめに選ばれたり、リレーに参加している方々とつながったり、とnoteの世界の拡がりも感じています。

このとき、私が一番言いたかったのは

コンプレックスは、乗り越えたり、克服するものではありません。
コンプレックスは、むりに受け容れて、あきらめるものでもありません。

ということなのですが、最近「ある程度の年齢になるとこの2つが自然とできてしまうのかも?」と思うことがあります。もちろん個人差やコンプレックスの程度にもよりますが。

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1.コンプレックスとの付き合い方

さて、コンプレックスとの付き合い方には、いくつかの方法があります。

1. 憎悪
自分のコンプレックスやコンプレックスの原因と思われるものを憎む。

2. 克服
コンプレックスを克服しようとする。コンプレックスとの闘い。

3. あきらめ
もう変わらないと、あきらめる。コンプレックスへの敗北。
忘れたふりをしているだけで、普段は気づいていないこともある。

4. リフレーミング
「コンプレックスのおかげで、いいこともあった」など捉え方を変える。アドバンテージとして生かすことも。克服方法の1つになっている時もある。

5. 誤解を解く
コンプレックスは自分の自分に対する誤解だったのだと気づく。自分の状態をありのままに受け容れる。自分への許し。

※1〜5は段階的におきるものではありません。単に列挙しただけです。

1~3の状態にあるとき、コンプレックスへの苦しみはとても高いことでしょう。4ぐらいになると、脱して息継ぎができます。

2. コンプレックスの解体とは?

私のところにもコンプレックスのご相談にいらっしゃる方はそれなりにいます。私のやっていることは5番目の「誤解を解く」です。ですから、まずなにが「誤解」につながっているのかを明らかにしていくわけです。そのコンプレックスを生んだ出来事、その思いに信ぴょう性を持たせている出来事などのお話を伺うこともあります。

たとえば「字が汚い」がコンプレックスだとしましょうか。

一般的には、綺麗な字を書けるようなトレーニングをするでしょう。上で言えば「2. 克服」です。

が、心理セラピーでは、まず「字が汚い」ことでどんなことに困っているのか、また、どんなきっかけでそう思うようになったのか、など丁寧にお話をきいていきます(カウンセリング)。

もし「字が汚いことでクラスのみんなに笑われて恥ずかしかった」という経験があったら、セラピーでその感情を解放するといったことをするでしょう。つまり「字が汚い」ということへの潜在的ネガティブ感をすっきりさせるということです。

そうすると、「字が汚い」という自分に対する思い込みのリアリティパワーが減り、気持ちが楽になります。自分の書く文字や、そういう文字を書く自分自身に対する認知がシフトするわけです。

「コンプレックスを克服してこんなにキラキラ人生になりましたあああ〜✨✨」というドラマチックなサポートではありません。
こころのなかに潜んでいる「コンプレックス」にまつわる思いと感情をさがして地味に解体していくだけです。「コンプレックス」のリアリティを崩していく、ということです。

3. コンプレックスの自然解体

ところが、ある程度の年齢になると、このようなややこしいことをしなくても(笑)、コンプレックスに対する認知のシフトが自然とおきることがあるようです。

私の勝手な見立てですが、おそらく40代の後半から50代に入ると、そこそこのコンプレックスであれば自然と受け容れることができるようになるように思います。

それは、このくらいの年齢になると自分自身に対する「明るい手放し」がおきるからでしょう(もちろん個人差はあります)。

一時期流行語のように「人生100年」といわれましたが、仮に100年生きたとしても伸びるのは「老人」になってからの時間。
100年生きるようになったからといっても、人間という生物がその年齢でできることはそうそう変わりません。幼児時代も歩けるようになるまで7年かかるとか、女性の場合80歳まで出産できるようになる、ということはないでしょう。

何が言いたいか、というと、どれだけ平均寿命が伸びても、40代を過ぎたあたりになれば自分の人生に「先があまりない」ということを自然にわかるということです。

そして、今までのような成長はなく、できなくなっていくことのほうが増えていくということも。確実に「自分」の限界も見えてくるということです。

それは、「自分自身への期待」という執着をこれ以上持ち続ける必要性がないことを知ることでもあります。「先の自分」よりも「いまここにあるもの」に目を向けることの喜びに気づく瞬間です。

その時「コンプレックス」は、自分自身への期待が前提になっていたのだなと知ることでしょう。「コンプレックス」だと思っていたものが、意外と人生には大して影響を与えていなかったり、それほど人より劣っていたわけでもなかったと思ったり、コンプレックスのために意外な恩恵があったことに気づくかもしれません。

そうして、いつの間にかコンプレックスから自由になるのですね。
その日は、おそらく、とても静かに訪れます。
子供の頃、背が伸びたのかも気づかなかったのと同じように、いつのまにか。

4. 「自然解体」できないうちは

とはいっても、歳を重ねても手放せないコンプレックスに苦しむこともあるでしょう。また、コンプレックスに苦しんでいるのであれば、克服しようとするのはごく当然のことですから、それはそれでいいでしょう。

ただ「コンプレックスは自分自身へのネガティブな思い込みの1つ」ということも頭の片隅にぜひ入れておいてほしいなあと思います。

コンプレックスの克服にはそれなりに時間がかかります。コンプレックスの内容によっては「克服」が不可能に近いこともあるかもしれません。
そんなとき、「自分自身へのネガティブな思い込みの1つ」であるということを頭の片隅に入れていれば、少し自分に余裕が生まれることでしょう。

なかなかうまくいかなくても、「あ、私、またコンプレックス克服物語にはまってるな」と自分を少し暖かい眼差しで見てあげることができます。自分を追い詰めずに済むかと思うのです。

そう、コンプレックスに苦しんでいるうちは
あなたはおそらく無意識に、自分自身へ期待しています。
まだまだ、自分には伸び代があると信じているということです。

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コンプレックスからの解放は、
「自分自身への期待」という執着からの解放。
それはおそらく新しい地平線を見せてくれます。

コンプレックスから、自分を自由にできる日が早くやって来ますように。
自由になれないうちは、どうか自分に声をかけてあげて。
「そんな自分でも、いいんだよ」と。

今日も読んでくださってありがとうございます。
自分にやさしくお過ごしください。

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