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いまさらだけど、イチローの引退について(いつかは誰もが自分を明け渡す日が来る)

先週、野球選手としてのキャリアにピリオドを打ったイチロー。
大々的に引退会見が放送されるのを見ながら、
本当に、長い時間が経ったのだなあ....と思った。

大リーグに行ったのが2001年。もう18年も前だ。
今の野球少年たちには「伝説」に近いだろう。

私はその当時、イチローの所属していたマリナーズの本拠地・シアトルに住んでいた。
シアトルはアメリカの中でも治安も比較的よく、緑の深い居心地のいい街だ。当時、私が日本人だとわかるとイチローについて必ずといっていいほど尋ねられたのを懐かしく思い出す。

そんなわけで、自分の人生の一部を見るような気持ちで彼の引退会見を見ていた。

「元カタカナのイチロー」

「(引退後は)「元カタカナのイチロー」みたいになるんですかね」
引退会見のなかで、一番印象に残った発言だった。

「元イチロー。」

ニュースなどでは
「イチロー(本名・鈴木一朗)」と表記されることもある。

この発言であらためて、
「イチロー」は野球選手としての彼の呼び名だったんだなあと思った。

私たちがみていたのは野球選手としての「イチロー」だけど
彼自身にとっては「自分 ≠ イチロー」もしくは
「自分 > イチロー」(自分のなかの一部がイチロー)って感じだろう。

「イチロー」は鈴木一朗さんのなかの「野球選手」の部分。
ありのままの鈴木一朗さんには、「野球選手」じゃない部分もたくさんある。
でも、おそらく彼は自分の時間やエネルギーのずいぶん多くの部分を
「イチロー」に費やしてきたことだろう。

意識的か無意識的かどうかはおいといて、
「イチロー」を作り、「イチロー」をやり、
「イチロー」を見せ、「イチロー」を生きる。
それが鈴木一朗さんの野球選手としてのあり方だったように思えた。

いつかは「望ましい自分」を脇に置く日が。

まあ、全くの推測なんだけど、
これだけ長く野球選手として続けて来るには、
鈴木一朗さんは、常に「望ましいイチロー像」を心に描いていたのだろうと思う。
こんな「イチロー」として野球をしたい、
こんな「イチロー」として続けたいみたいなね。

こんな私でありたい、こんな私として受け止めてもらいたい…
これは誰もが多少なりともやっていることだろう。
うまくいくこともあれば、そうでもないこともある。

引退会見のなかで、イチローは貫いたこととして
「野球を愛したこと」と述べていた。
それを聞いた時
「(望ましい)イチロー」でいることは、
きっと簡単ではなかったことだろうけど
野球への愛が貫かれているから
鈴木一朗さんは「イチロー」をやり続けられたのだろうな、と思った。

けれど、生きていれば全ては変わるし、
自分の望み通りにコトが運ばないことがおきてくる。
どんなに愛や力を注いでも、自分を取り囲む環境が望みとおりにならない。
その「環境」には、
自分の身体や能力なんてものも含まれるだろう。
そして抗うこともできず、明け渡すしかない時が来る。

イチローの引退は
もちろん、イチローが野球選手を引退する、ということなのだけど
なんだかそれよりも
鈴木一朗さんが「イチロー」を引退した、 ということのように思えた。

もっと言い換えると
鈴木一朗さんが、「イチロー」という自分像の旅を終えて
等身大の鈴木一朗さんに還っていった、って感じがする。
なんだかとってもあったかい気持ちで、
「おかえり」といってあげたい感じだ。
もちろん「イチロー」を続けてくれたことにも、大感謝なのは言うまでもない。

イチローは終わり、鈴木一朗さんは続いていく。

わたしはたぶん、そこまでひっくるめて
これからも「元カタカナのイチロー」こと
鈴木一朗さんのファンでいると思う。

(久しぶりの更新だけど、ココロの話題と全く関係ないこと書いてみた)

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