相手のオウンゴールは喜ばない
昨夜、ウィンブルドンテニスの男子決勝を見ていた。
フェデラーとジョコビッチ。
ファイナルセットのタイブレークまでもつれこんだ試合。
いい試合だった。
ふたりのプレイはおいといて、
ゲームの中で、観客の歓声が気になった。
どうも会場はフェデラーを応援しているようで、
フェデラーにポイント(スコア?)が入ると拍手がおきる。
フェデラーがサービスやショットを決めた時に
歓声が湧き上がるのは当然なのだが、
ジョコビッチのミスでフェデラーにポイントが入っても歓声がおきる。
サッカーでいえば
相手の「オウンゴール」でスコアが入って喜ぶようなもの、といえばいいだろうか。
テニスの応援は、
相手のミスでスコアが入った時は喜ばないもの....
と思い込んでいたので、意外だった。
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いつ、この話をきいたのか覚えていないが
「テニスでは相手のミスでスコアが入った時は喜ばない」という話は、
とても心に残っていた。
ゲームのルールがそうなっているのだから
転がり込んできたラッキーなスコアを
自分のものにカウントすること自体はそれでいい。
ただ「相手のミス」が「転がり込んできただけ」で
自分の力で得たものではない。
だから、自分への賞賛にはならない。
また相手のミスでラッキーが転がり込んできたときに
過剰に喜んでいる...というのは
人の不幸を喜んでいるようで、失礼だと思っていた。
ミスを誘うプレイだった、という視点に立つこともできるかもしれないと
頭ではわかっているけれど。
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相手のミスでラッキーが転がり込んできたときに
過剰に喜んでいる時は、
たいてい、自分の軸が安定していない。
私はそれを無意識のうちに自覚していたのだと思う。
そして、自分がそうなることを恐れていただけ。
だからこの話が印象に残ったのだろう。
一旦は勝てなくなったり
体調を崩しながらもまた勝ち上がってきたジョコビッチとフェデラー。
そのテニスに対する真摯な姿勢も感動的だ。
ラッキーは、ラッキーで喜びながら
自分の軸を安定させる
地に足をつかせることも
覚えていたいなあと思いながらの夜更かしだった。
今日も読んでくださってありがとうございます。
自分にやさしくお過ごしください。
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