見出し画像

厄年!!

立春を迎え、暦の上では春となりましたね。
前回は、立春の前の日「節分」の豆まきについてのマメ知識をお伝えしました。

豆まきだけではなく、節分の頃には、厄祓いをされる方も多いようです。
平安時代に公家で行われていた厄祓いの慣習が江戸時代になって民衆に広がり、現在のように厄祓いが行われるようになったからだそうです。

「厄年」は平安時代の文学である『源氏物語』や『宇津保物語』に登場するなど、日本人は、古くから厄年を意識して生活をしてきました。

現代の私たちは「厄年」や「厄」と聞くと、病気やけが災難が起きる「恐ろしい年」と考える人が多いようですが、元来は違う意味を持っていました。

《厄年は役年だった》
かつて、日本全国の村々には必ず鎮守の杜(氏神様)があり、村人は協力してお祭りを行っていました。
このような組織は宮座などと呼ばれ、古くからありましたが、室町時代から顕著に発達したと考えられています。
宮座の中でも、一定の年齢に達した人はその経験を認められ、お祭りの重要な「神役」(神事に奉仕する役目)を任されるのが慣わしで、いわば通過儀礼の一種でもありました。

神役を務める年、すなわち「役年」を立派に乗り越えることで、少年から大人、大人から古老への仲間入りができたのです。
この、「神様にお仕えする大事な役目を任される年」がもともとの「役年」でした。

無事にお役目を果たすためには、普段に増して病気や怪我、家庭的・社会的にも様々なトラブルを避けなければなりません。
そのために物忌(ものいみ)と言って、言動に注意し、心身を清浄に保つ必要がありました。大切な役年は、いつも以上に災難に敏感な時期でもあった訳です。
それが、いつしか災難を気にする面が強調され、現代のような「厄年」のイメージが定着していったと言われています。

ある地域では名残として女性の33歳に姑からお嫁さんに家事が引き渡される「しゃもじ渡し」という風習も残っています。

また怖いイメージのある「厄」とは、恐ろしい現象のことではなく、自らのわがままな気持ち、自分さえ良ければ良い、という未熟な気持ちのことを指すそうです。

「厄」年という漢字が、本来は「役」年と書き、社会的・家庭的に大きな「お役目」を任せられる、大変喜ばしい年齢のことだったとは!

大役を任せられる喜ばしい1年の始まりには「そのお役目に臨めるよう身と心を整えるという意識」で、神様にお祈りをすれば怖くないですね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?