8/26 IN A LIFETIME 2016 Presents GRAPEVINE × TRICERATOPS @ 東京・渋谷NHKホール

2014年にGRAPEVINEはセカンドアルバム『Lifetime』のリリース15周年記念として、アルバムの再現ライヴを行った。そして、2016年にはその第2弾として、1998年にリリースのファーストアルバムの再現ライヴ「IN A LIFETIME」を、バインと同じ1997年にデビューを果たしたトライセラトップスと共に対バンツアー形式で開催。

私は8月26日東京・渋谷NHKホールで迎えたツアー初日と9月10日大阪・オリックス劇場、そして追加公演である9月17日東京・お台場Zepp DiverCityの3公演を観に行ったのだが、今回は初日のNHKホールのライヴについて書いていこうと思う。

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先行はトライセラトップスだ。

バンド名がタイトルとなった彼らのファーストアルバム『TRICERATOPS』。20代男子のリアルな恋愛事情が綴られる全10曲には、当時流行っていた髪型(”彼女のシニヨン”)や、好きな女の子のライターに見知らぬ男とのプリクラが貼られていたり(”オレンジライター”)と、90年代後半のファッションや文化を感じさせる楽曲に目を引かれるが、40代を迎えたトライセラが歌い演奏する『TRICERATOPS』の楽曲群は、不思議なことに、どれもこれもが大人のラヴソングとして聴こえてきた。

一番変化したのは和田唱(Vo&G)の歌声だ。恋愛の甘さも苦みも知っているからこそ、男らしくセクシーに歌い上げ、佇まいもジェントルマン。ギタリストでもある彼は、味のある音色でギターを鳴らし、唯一無二の存在感でオーディエンスを魅了する。そして林幸治(B)の重厚感あるベースと吉田佳史(Dr)によるワイルドなドラミングと共に爆走。疾走感溢れる骨太ギターロックからデビュー曲”Raspberry”に代表されるディスコまで、デビュー当時から一貫して崩さなかった姿勢は、トライセラ流の成熟されたロックン・ロールとなり盛大に響き渡る。

和田は、コール&レスポンスやハンドクラップを積極的にオーディエンスに求め、ライヴの舵を取ってゆく。林も手が空けばハンドクラップをしたり、吉田もスティック握る手を振り上げフロアに合図を送ったりと、客席とのコミュニケーションを何よりも大切にしている。それはMCでも言えることで、和田の軽妙なトークに会場が沸くと、さらにタイミング良く吉田が絡み、再び会場は爆笑の渦。そんな2人を止めようとしない物静な林なのだが、何か話題を降られ話し始めると、笑いを取る確率はほぼ100%(笑)。基本的に3人ともサービス精神旺盛な性格なのだろう。細部にまで拘り抜いた、お客さんを1人残らず楽しませようとする「パフォーマンス力」のレベルはかなり高い。

そんなトライセラにも、数年前には存続危機が訪れていた事もある。バンドを長く続けていく上での苦労やネガティブなものをステージ上では曝け出すことはないが、過去を乗り越えファーストアルバムの再現ライヴを行ったことは、リスナー以上の感慨深さが彼らにはあったと思う。今回の見事なステージは、困難な時代を経たことで磨かれた賜物であり、だからこそ今のトライセラをより輝かせ、私達の目には魅力的に映るのだろう。

そして後攻GRAPEVINE。

ファーストアルバム『退屈の花』の1曲目”鳥”からライヴはスタートした。18年前(2016年当時)よりも柔らかくなった田中和将(Vo&G)の歌声と、落ち着いた物腰で鳴らされるあたたかなサウンドが響き渡ると、会場一体が多幸感でゆったりと包み込まれていく。まるで古いダイアリーを1ページ1ページ読み返すような丁寧な演奏が続き、MCもほどほどに黙々と演奏するメンバー。しかし次第に最近のライヴにはない独特な空気が広がり始める。

田中もMCで話していたが『退屈の花』は、当時の自分達を大人っぽく見せようとして作られたアルバムである。ブラックミュージックやルーツロックを主軸とする渋い趣味嗜好の楽曲が連なっているが、若者らしい視点で田中が綴るまだまだ青い歌詞からは、彼らが生きた1998年が色濃く残り、過去作品の中でも群を抜いてノスタルジー色が強いという一面もある。

現在バインはオリジナルメンバーである田中、西川弘剛(G)、亀井亨(Dr)の3人とサポートメンバーの金戸覚(B)、高野勲(Key)が加わった5人編成で活動しているが、彼らはステージ上にかつてのメンバー西原誠(B)の気配を感じさせる「4人のサウンド」として完全に成立させてしまっていた。実際は、色々と小細工を仕掛けていたことを後日確認したが、当時の音作りやアレンジを新たに塗り返すことなく、かなりの割合で似せて再現しているのではないかと思うほどに、初回に観た衝撃を暫く忘れることができなかった。つまり、それを再現できたことは、大人っぽく見せようとしていたアルバムをバンドは追い越すことができたからで、ラストの”熱の花”では、それまでノスタルジー一色だった客席を強引にも1998年から2016年へと引き戻すような凄まじい轟音を放ったまま、メンバーはステージを去ったのだが…観ていた側としては少し頭の中を整理する時間が欲しいくらい、いわゆる混乱状態に陥ってしまった。 

デビュー当時、バインとトライセラは「陰のバンド」と「陽のバンド」として比較されていたという。とは言え2組の最新アルバムを聴いてみても、相変わらずバインは「陰」でトライセラは「陽」。ライヴとなれば、その世界を更に深化させたものとなり、実際に立て続けにライヴを観ても、目や耳でわかる共通項はそんなに無く、本来この関係性はただの『同期』と呼ぶのかもしれない。しかし、バインとトライセラの場合、我が道を貫き前進してきたことによって独自のスタイルを創り上げた『同志』であり、そこに絶対的な自信があることを理解し合える大切な存在なのだ。メンバー総出演で行われたアンコールの最後に、田中が「是非、和田唱に歌ってもらいたい」とのことでポール・マッカートニーの名曲”Maybe I'm Amazed”が披露されたことがその象徴と言えるだろう。ロックン・ロールへの敬愛に溢れる壮大なバラードには、互いの肩を叩き合うような労いを感じ、また、長くバンドを聴いてくれているファンへの感謝や、同じ時代を生きる音楽仲間への激励とも受け取れた。

バンドを長年続けてきたことで得られた喜びや楽しさをファンと一緒に分かち合う、祝福感に満ちた、とても幸せな夜だった。どちらのバンドにも危機は訪れているし、当然今だって背中合わせである。しかし、彼らは乗り越え、地道ながらも確実に未来への歩みを止めなかった。例えば、その理由を訪ねてみたとしても「バンドしか、音楽しかなかったからだ」とあっさり返されそうだけど、こんなシンプルな答えが似合うバンド、そうそういないだろう。

そして、2017年。バインとトライセラは遂にデビュー20周年を迎えた。

(2017年6月4日)

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