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【メンタルヘルス】10代の自殺について(脳科学的に)本気で考えてみた

若者がどんどん自殺する国、日本

 日本は自殺大国です。2017年は2万1140人で、一日にだいたい60人が自殺している計算になります。これでも減少は続けているようですが、10万人当たりの自殺者数、いわゆる自殺率は16.7で、アメリカの13.4、ドイツの12.6などと比べまだまだ高いです。

 懸念せざるをえないなのは、日本の10代の自殺者数はむしろ増えている、という事実です。2017年は516人の10代の方が、自殺によってこの世を去っています。特にいじめを苦に自殺、というケースは時に大きいニュースになり、メディアを騒がせますが、学校側、加害者側、教育委員会側が責任をなすりつけあって根本的な解決はなされないまま、次の犠牲者が別のところで出る、という状況が繰り返されているように思えます。

 私は脳科学の学生なので、この記事ではより科学的に、主に脳科学的に、10代という時期を捉えた上で、どうしたら日本の10代の自殺者数を減らせるのか本気で考えたいと思います。

なぜ思春期は特別な時期なのか?

 10代、特に思春期は、ただの子供と大人の間の時期ではありません。ゲーテが思春期を疾風怒涛の時期と呼んだように、皆さんが10代のころ、中学生や高校生のころを思い出していただけると納得できるかなと思いますが、思春期は特別な時期です。

 心理学的には、思春期の主な特徴は2つあります。リスクを求める行動 (risk-seeking behavior) と 同世代の仲間への高い感受性 (high sensitivity to peer relationships) です。

リスクを求める行動

 良識ある皆さんは学校にバイクで行ってバットで校舎のガラスを割ったり覚せい剤をやったりはしなかったとは思いますが、タバコを吸ったりお酒を飲んだり、校則を破って髪を染めたり、スカート丈を短くしたり、援助交際をしたり周りとしょっちゅう喧嘩したりはしたかもしれませんし、少なくとも周りにそういう人たちはいたと思います。もし周りにそういう人たちがいなかったとしても、「テストのために勉強しなきゃいけないのはわかるし、それが私の人生にとって大事なのもなんとなくわかるけど、ぜーんぜんヤル気でねぇ。部屋の掃除でもすっか」という経験はあるはずです。

 このように、大人からすると「なにやってんだこいつら」と思えるような、自分の人生をあたかも捨ててるかのような行動を、思春期の若者はしばしば見せます。特に、ドラッグや性交渉などは実際にその人たちの人生に相当のリスクがあるため、学校などで啓蒙活動をする時間が用意されていることが普通です。「思春期は、リスク評価を上手くできない時期」、もっと言うと「思春期は頭がおかしくなる時期」と特徴づけている人も多いかもしれません。

 実は、思春期の人たちはリスクを評価できないわけではありません (Beyth-Marom, Austin, Fischoff, Pamlgren, & Jacobs-Quadrel, 1993)。むしろ、その行動にリスクがあることを承知した上でやっているのです。青少年の麻薬使用撲滅キャンペーンなどは、リスクを強調すれば10代の若者はリスクを求める行動はしないだろう、という想定でデザインされています。ところが最近の研究では、そもそも思春期の若者はリスクに関連する情報に大人と比べて興味がないということがわかっています (Wouter van den Bos & Raiph, 2017)。あらゆる行動には不確実性が付きまといます。大人は情報を集め、その行動の結果としてリスクが大きすぎたり、あまり情報が集まらず不確実性が高すぎればその行動を選択しない、ということを日常的にしています。ところが思春期の若者は、情報が足りず不確実性が高くても、その行動を選択する傾向があります。とにかくやってみるのですね。

 最新の科学の見解は、思春期にリスクを求める行動が伴いがちなのは、思春期の若者がバカだからではなく、それが生物学的にリスク以上のメリットがあるから、というものです。子供のころは親と深いつながりを持ち、世の中の規範や行動の良し悪しのパターンとその結果を学習します。ところが、世の中の広大さに比べ、周りの大人が与えてくれる情報はごく一部ですし、無垢な子供に疑問を与える程度には往々にして矛盾を含んでいます。

 脳の話になりますが、神経細胞がぎゅっと詰まっている灰白質の体積は、思春期の初期(女性は約11歳、男性は約13歳)に人生のピークを迎えます。その後、シナプスの刈り込み (synaptic pruning) というプロセスを経て、灰白質の体積は減少していきます。すなわち、とりあえず子供のときにできるだけたくさんシナプス(神経細胞同士のつながり)を作って、思春期になったらその中で自分にとって大切なものだけを残して、あとは捨てて、より自分の人生に適応した脳を設計しよう、というのが、脳の戦略です。ずっとピアノの練習をしていたら、サッカーに必要なシナプスを削ってでもピアノの演奏に必要なシナプスを強化した方がその人のためですよね。そういうことです。

 (灰白質の発達と年齢:https://www.youtube.com/watch?v=6zVS8HIPUng&t=293s)

 つまり、思春期のリスクを求める行動は、この脳を自分にとって最適に設計するための学習手段の1つなのかもしれない、というです。何が自分にとって大切で、何が自分にとって不必要か……これを完全に学習するまでには、親や大人が与えてくれる情報だけでは不十分です。それを補うため、多少その行動の結果にリスクがあっても、とりあえずやってみるのが一番なのですね。

同世代の仲間への高い感受性

 リスクを求める行動とも関係が深いのですが、思春期は周りの同世代に非常に影響を受けやすい時期です。直感的にわかりやすいと思いますが、思春期のリスク行動は同世代の仲間が周りにいるとより強化されます (Chein et al, 2011)。いじめがエスカレートして殺人になったり、その気がなかったのに周りに勧められて覚せい剤をやってしまったりといった事例は、その最たるものです。面白いのは、ネズミもアルコールを飲めるのですが、思春期のネズミは回りに同世代のネズミがいるとよりアルコールを飲むらしいです (Louge et al., 2014)。人間は大学生になってもたいしてネズミと変わらないわけですね。

 また、思春期の若者は大人と比べ、仲間から疎外されたときにより強くストレスを感じやすいことがわかっています (Sebestian et al., 2011)。これは思春期には、人間関係など高度な認知機能をコントロールする前頭葉の発達が十分ではないためだと考えられています。実際、思春期の若者は他者の表情を読み取るときに、感情を司る扁桃体に大きく頼っていることがわかっています (Guyer et al., 2008)。このような扁桃体の過剰反応は、感情の変動幅を大きくすることで、うつなどの気分障害の発症にもつながっていきます。

 このように、思春期の脳の特徴としてはシナプスの刈り込みに加え、理性を司る前頭葉が未発達だけれども、本能や情動を司る報酬系は既に発達している (Davey et al., 2008)、というアンバランスな状態が挙げられます。この脳の状態がどういう意味を持つかというと、思春期においては、湧き上がる欲望や感情を自分自身で制御することが非常に難しいということです。そのため、思春期の若者の行動・価値判断は前頭葉ではなく、報酬系に依存しがちになります。例えば、子供や大人に比べ、思春期の若者は生物学的な報酬である糖分や、経済的な報酬である金銭に対し、脳の報酬系がより高い活動を示します (Galvan & McGlennen, 2012)。特に、社会的報酬(同世代の仲間から認められること)は、人生のどの時期よりも大切なものに感じられます (Foulkes & Blakemore, 2016)。逆に言えば、先ほど紹介したように仲間から外される、といった負の社会的刺激に最も弱いのが、思春期という時期であるということです。いじめられている子は、大人には計り知れないほど傷ついていると考えた方がいいです。

なぜ思春期の若者は社会的刺激に敏感なのか?

 忘れてはいけないのが、思春期は性成熟の時期でもあるということです。脳の大幅な変化というのは、身体の大幅な変化を伴っています。そして人間も生物である以上、自己保存の欲求があります。魅力的な異性と性行為をして、自分の遺伝子を後世に残したいわけです。思春期はこのための準備が具体的に始まる時期ですので、サルと一緒で、社会の中における自分のランクが自分の人生の最重要課題になってくるのは必然です。サル山の上の方に行けば行くほど、魅力的な異性との生殖機会が基本的には増えるからです (Wroblewski et al., 2009)。スクールカーストは、つまり思春期のサル山です。

 このサル山を上るためには、激しい競争が避けて通れません。いじめが起こる土壌がここにあります。以下が、いじめが無くならない3つの理由です。

1) ランクの高い者同士がグループを作りランクの低い者を痛めつけることで、ランクが高い者同士の軋轢や緊張関係を緩和できる

2) いじめによって自分の力を示し、ライバルとの余計な争いを避ける

3) いじめることが自身の健康につながる

順に見ていきましょう。 

1)はいわゆる共通の敵効果ですね。競争に競争を重ね、サル山を上っていくことは非常にストレスフルです。そのストレスを互いにぶつけ合うのではなく、結託して自分より弱い者にぶつけることで、憂さ晴らしをしているわけです。

2)は、なぜいじめは常に無慈悲で残酷なのかの答えを与えてくれます。いじめが無慈悲で残酷であるほど、ライバルは恐れをなして戦う気を失うからです。結果として、いじめっ子がサル山を上がっていける可能性が上がるのです。

3)上記2点は、いじめの議論でもよく引き合いに出されると思います。しかし、それだけが全体像ではないのです。いじめを受けると、一生に渡ってその傷は癒えません。精神疾患になりやすくなったり、ストレスに反応する炎症物質が分泌過剰になり、心臓病になりやすくなったりします。一方、いじめた側には健康上のデメリットはありません。むしろ、いじめた側のストレス炎症物質のレベルは、大人になっても低いままであるという衝撃の論文が発表されています (Copeland et al., 2014)。すなわち、いじめをすると健康に長生きできる可能性が上がることが示唆されているわけです。

 これだけいじめの「メリット」があると、「いじめは悪いことなのでやめましょう」と先生がいくら言ったところで、いじめがなくなるわけありません。いじめられっ子はサル山が生み出したスケープゴートなのです。いじめっ子は上記のメリットによりいじめを止めません。その他のいじめられていない子も、自分の身の安全がそのいじめられっ子が犠牲になっていることで担保されていることから、いじめを止める理由がありません。つまりいじめは、残念ながら、サルと共通の祖先を持つ人間が、特に思春期の若者が一定数同じ場所に集まると、必ず起きてしまうバイオロジカルな現象なのです。実際、食べ物が十分にあって互いに争う必要がない環境でも、サルはいじめをするそうです (de Waal & Luttrell, 1985)。

思春期のメンタルヘルスがなぜ大事なのか?

 代表的な精神疾患は統合失調症とうつ病の2つですが、これらを含めた精神疾患の多くは10代の思春期に始まると言われています (Giedd et al., 2008)。思春期に発症した精神疾患は発見されにくく、したがって精神科医による適切な治療がなされないまま放置され、重症化しやすいそうです。また、精神疾患は現在のところ完治することはありません。人生の様々なタイミングで再発し、その人の人生を一生苦しめることになります。

(主な精神疾患の発症年齢: Ranges of onset age for common psychiatric disorders. Recent data from the National Comorbidity Survey Replication study; Giedd et al., 2008)

 当然、精神疾患を患っている人が活き活き働けるわけがありません。労働人口が減っている日本の市場では、1人ひとりが効率的に仕事をしていかないと現在の経済規模は維持できません。そのため、精神疾患に苦しむ患者さんを減らすこと、それによって自殺する人を減らすことが、ひいては日本社会の経済発展に繋がります。そのためには、精神疾患が発症するタイミングである思春期の時点で、思春期の若者が精神疾患をそもそも発症しないような仕組みが必要になります。仮に発症してしまったとしても、早期に発見・治療できる体制が必要です。

 残念ながら現状は、スクールカーストという言葉があるように、日本の学校はただのサル山でしかありません。多くの思春期の若者のメンタルヘルスにとって、危険極まりない場所です。特にいじめられた人たちは、自殺はしないにしても、その影響に一生苦しむことになります。

思春期のメンタルヘルスを改善するために必要なことは何か?

 こうした現在の状況を変えるためには、そもそも思春期の若者が大半の時間を過ごす学校環境を、思春期の脳のあり方に沿ってデザインすることが必要になります。現在の学校の在り方は、今まで紹介したように科学的知見がこれだけある現代においても戦時中から何も変わってません。

 思春期は、周りとの関わりを通し、前頭葉を自分の人生に合うように発達させていく時期です。この時期のシナプスの刈り込みや、前頭葉と報酬系の接続を、学校環境が余計なストレスをかけることで邪魔してはいけません。思春期のあるべき脳の発達の阻害は、その人の一生を狂わせることになります。私はこれが、日本の自殺率の高さの原因の1つであると同時に、日本人の幸福度が低い理由ではないかと考えています。誰だって生まれ持った才能を磨き上げて、自分らしく生きたいはずです。そうできないケースが多いのは、思春期を取り巻く情報環境が適切ではなく、あるべき姿に脳が発達できていないからです。

 具体的には、まず第一歩として、教育に関わる人がこの記事に書いてあるような思春期の脳の仕組みを知っておくことが必要です。「なんであれだけ口酸っぱくいじめはだめよって言ってるのに、いじめは起きてしまうんだろう」みたいな不毛な悩みを持つ教師を減らして、いじめは生物学的にいじめた側にメリットがあるということを認めたうえで、いじめた人間に相応のデメリットを課す必要があります。いじめるメリットは、大人の想定以上に大きいので、それを越えるデメリットがないと、いじめはなくなりません。退学でも少年院送りでもいいと思います。

 また、定期的に生徒のメンタルチェックをすることも有効でしょう。現状、多くの学校ではカウンセラーは週に数回バイトに来る程度で、「悩みがあったら来てね」的な受け身のスタンスだと思います。毎年健康診断があるように、生徒全員に定期的なカウンセリングの機会が必要なのではと思います。これは、精神疾患の兆候があれば早期に発見し、問題を解決するためです。

 ブラック部活など、日本の伝統の部活動を問題視する声も多いですが、なんにせよ、生徒が学校のクラス以外のコミュニティに積極的に所属できる自由度は必要です。人間がサルより優れている点は、サルは1つのサル山にしか所属できませんが、人間は複数のグループに所属することができるという点です。あるグループではぱっとしなくても、別のグループだと中心人物、なんてことはよくあることです。思春期における同世代との繋がりの大切さを踏まえると、学校以外で別の仲間とリアルに繋がれる機会が必要に思えます。

 最近希望が出てきたのは、Ed Techによって個人に合わせた教育が受けられるようになりつつあることです。こうした変化をどんどん受け入れ、「先生は授業をしているフリ、生徒は授業を受けているフリをする」という茶番をなくし、先生が一人ひとりの生徒の話を聞く時間を確保することと共に、リスクを求める行動をしがちな思春期の脳の性質を逆に利用し、学ぶ意思があれば興味がある分野でどんどん先のことを学んでいけるような教育体制が理想的です。学校に行って、塾に行って、受験勉強だけするなんてもったいなさすぎます。

 若いときから自分が夢中になれるものが見つかれば、スクールカースト内の地位を守るためにいじめをしたり、非行に走ったりしません。思春期の若者の過激なリスクを無視した行動は、彼らの脳が自身を最適化するための情報を求めているけれども、それが周りになかったことで生まれるものです。要は暇だから、刺激を求める思春期の脳が退屈して、報酬系からドーパミンを分泌させるためにそういったことを行うのです。勉強でもスポーツでも、世の中の多様なジャンルの中から、自分の情熱を思春期のうちから見つけられる、そういった環境が、Ed Techの出現によって実現したらいいなあと思います。

終わりに

 自分はこうした思春期の脳科学についてずっと興味を持っていて、いつかこうした脳科学の知見を世の中に生かしたいと思ってきました。現実は別の脳科学の研究テーマで忙しく、知見を活かすどころか新しい知見をアップデートさえしてなかったので、新たに論文を読み直すためにこの記事を書きました。いじめや教育問題はよく議論されるテーマですが、肝心の思春期の脳の仕組みが全く考慮されていないまま話されていることがまだまだ多いなと感じてきました。長くなってしまいましたが、この記事で何か新しい知見が提供できていれば幸いです。

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