求婚リザベーション

プロポーズ報告をしている私に 弟の彼氏が求婚してきた。 
男子大学生 × 苦労人OL。素直になれない分 アナタにありったけの愛を。

 耳を疑った。


「……は?」

 そう応えるしかない。

「だから、俺と結婚してください」

 八つも年下。

「……ばっ」
「馬鹿かお前っ!?」

 この世でたった一人の肉親である。

「俺、本気です」

 弟の彼氏に、プロポーズされてしまったのだから。

        *求婚リザベーション*

「それはまた……」

 翌日の夕刻。
 いつもの様に私を食事に誘った彼、シュンスケは背を丸め、心底おかしそうに腹を抱えて笑う。

「熱烈な、青年だね」
「……っ」

 私は手にしていた塗り箸を折ってしまいたい衝動を抑え、じっと彼を睨みつける。
 視線に気付いたのか、彼は顔を上げないまま掌を私に向けて「ゴメン、ゴメン」と、震える声で言った。

「全く冗談じゃない。言ってくるタイミングもタイミングよ!」
「俺が君にプロポーズしたことを、弟のコウヘイくんに報告した直後だって?」 
「コーちゃんの隣に居たのよ、アイツ」

 私は忌々しそうに呟くと、彼はやっと顔を上げて苦笑いを浮かべる。

「まぁまぁ。男は一度や二度は年上に憧れるものだから」
「何言ってるの! アイツはコーちゃんの彼氏なのよ! あのとき一番驚いてたのはっ」
「そうだね、そうだよね」

 シュンスケは怒りのあまり立ち上がりそうな私を、向かいの席からなだめて落ち着くよう促した。

「コウヘイくんは君が大学を中退してから、手塩にかけて育てたんだもんな」

 そうしみじみと語る彼の言葉に、思わず涙がこみ上げてきた。

 今から七年前になる。
 大学進学を期に上京していた私に、訃報の知らせが届いた。

 『ねぇちゃんどうしよっ、父ちゃんが……母ちゃんがっ』

 警察の霊安室に駆け込むなり抱きついてきたのは、まだ小学生の弟、コウヘイ。
 私は起きた事態が信じられず、ただ横たわる両親の亡骸に呆然と立ち尽くしていた。
 私に会いに行くために、車で都市高を走行中に輸送トラックに後ろから追突されたとのこと。
 運良く助手席に座っていたコウヘイだけが、軽傷で生き残った。
 私は、直ぐ大学中退することを選んだ。
 大学側は私の成績なら学費全額免除でも構わないと言ってくれたけれど。

『……ねぇちゃん』
『大丈夫よ。アンタを一人にさせないから。施設になんて、養子になんてやるもんですか』

 私は両親が遺してくれたコウヘイを、手放すわけにはいかなかった。 

「コーちゃんはね、私の宝なの。そんなあの子を、あの男はっ」

 コウヘイにカミングアウトされたのは、丁度一年前だった。
 大学に通いだして間もなかったあの子が連れてきたのは、初めての友達でもなく、彼女でもなく。

 彼氏だった――。

 彼を紹介するコウヘイは心底嬉しそうで、そんなあの子を見ていたら、ショックな態度は取れなかった。
 あの子自身、私が中退し、がむしゃらに働いてきたことをずっと気にして生きてきた。
 だから、本当に幸せいっぱいなコウヘイを咎めることが出来ない。
 何より、あの子自身も友達と遊ぶ時間も惜しんで、私の代わりに家のことこなして、私が通っていた大学に特待で入学するぐらい努力してきたから。

「あの男はっ、あの瞬間私たちを踏みにじったのっ! だからっ!」
「だから、許せなかった?」
「そうよっ!」

 丁度個室席でよかった。

「許せなかった……」

 顔を上げて見つめるその先が、薄い膜を帯びてぼやけていて。

(きっと、酷い顔だ……)

 すぐに涙を拭おうとしたら、温かな感触が私の目じりを拭った。

「君をそこまで追いつめるなんて、よっぽどいい男なんだな」
「……シュン、スケ?」

 その含みのある物言いに、私はただ首を傾げる。

「本題に入ろうか」

     ◇

 何を言っているのか、意味が解らない。

「もう直ぐデザートが運ばれてくるから、それまでに答えを決めて」
「何、言って……」

 私は今しがた言われたことの意味が分からず、ただ狼狽えるばかり。
 シュンスケはさほど先ほどと変わらぬ態度で「冷めるよ」と、私に箸を進めるよう促した。
 私はそれでも手がうまく動かせず、更にさっきの言葉を問い返そうと口を開いた。
 そのとき――。

「失礼します」

 私は耳を疑った。

「食後のデザート、お持ちいたしました」

 目を向けるのが、怖い。
 シュンスケを見やると彼は笑みを浮かべ、声がする方へ視線を向けている。
 それが何を意味するのか分からず、余計に怖い。

「偶然ですね、ユナさん」
「……っ」

 私の名を呼ぶその声に、思わず手にしたままの箸を床に落としてしまった。
 顔を向けなくても、誰なのかわかる。

「ん? ユナ知り合い?」

 黙ったまま俯く私に察したのか、 シュンスケは目を細める。

「あぁ、君が……」

 静かな沈黙が流れる。
 一つ増えた気配は消える様子もなく、こちらに近づいてデザートの小皿を静かにテーブルの上に置いていく。
 急速に乾いていく喉が中で張り付きそうで、グラスに注がれていた水を飲もうと手を伸ばした。
 けれど。

「っ!?」
「大丈夫ですか?」

 グラスに伸ばしたはずの手が、何故か掌の中に握られていた。
 その手を握っていたのは紛れもなく。
 先日まで、弟の彼氏だった、カズトその人で。

「顔色がよろしくない。手が震えている」
「なっ!?」

 何を思ったのか、手に取った私の指の付け根に唇を落としてきた。

「な、何すっ」
「先日のお返事、頂いてなかったので」
「わ、私は!!」

 真っ直ぐに見つめてくる漆黒の瞳に、私は戸惑い、意気が上がって言葉がうまく口に乗せれない。
 私はどうしていいかわからず、咄嗟にシュンスケに目を向ける。

「そのまま言えばいい。君の気持ちを」
「な、それはっ」
「別に直ぐ結婚してくれってわけじゃないんです。俺が大学卒業するまで待っていただければ」
「そ、そんなことじゃなくて!!」
「俺は待てないな。挙式は後でも、少しでも早く入籍したいし」
「シュンスケっ!!」

 一方的に答えを押し付けてくる二人に、私はまた泣きたくなって唇を震わせていたら、

「ユナ、君が許せなかったのは、君自身だろ?」
「……え」

 私は、何を言われているのか分からない。

「シュンスケ……何言って」
「本心に気付いた君が、一番許せなかったのは……」

 それ以上彼は何も言わなかった。
 ただ柔らかく微笑んで、寂しそうに黙ったままの私を見つめる。

「何年、君の傍にに居たと思うの」
「しゅ……」
「これは、彼と一緒に食べなさい」

 シュンスケは静かに席を立つと、壁際にかけていたジャケットを自らハンガーからとって肩にはおった。

「婚約者を置き去りにするんですか」

 私の手を握ったままのカズトが、背筋を伸ばしてシュンスケの後ろ姿をじっと見据える。
 その低く、威嚇的な声にシュンスケは振り返る。

「婚約者?」

 首を傾げるシュンスケに、カズトが顔を顰めた。

「君は、何か勘違いをしているようだ」
「……?」
「彼女は、婚約者じゃないよ」
「え?」

 シュンスケの言葉にカズトとは目を見開き、咄嗟に私へ視線を戻す。
 私は思わず彼から視線を逸し、キツく瞼を閉じた。

「ユナさんっ」
「彼女は、俺のプロポーズを保留にした」
「……うそ」

 動揺を隠せないカズトに私は言葉を返せない。
 シュンスケは溜息を吐くと、部屋から立ち去っていった。
 室内に広がる沈黙。
 握りしめられたままの手。
 私は煩く鳴り響く鼓動に顔をしかめると、カズトがぽつりと呟く。

「ユナ、さん」
「違うっ、私は、コウヘイがっ!」

 シュンスケの背中を追いかけることができず、カズトの手を振り払い頭を抱える。

「あの子を一人にするわけにはいかないの!」
「でもあの人は実業家なんだろ? コウのことだって」
「気安くあの子の名前を言わないで!!」

 私は勢いのまま手を振り上げ、目線を下げていたカズトの頬を、平手打ちにした。

「……っ」
「どうして……」
「……ユナさん」
「なんで、避けないのよっ」

 自分でしたことなのに、黙って打たれた彼に私は目を見開き震える。
 やり場に困った私の掌を、彼はそっと手を伸ばし柔らかく握った。

「自分のしたことぐらい。ちゃんと分かってます」

 今にも泣き出しそうな瞳が、私をまっすぐ見つめる。

「俺、コウのこと好きでした。たった二人の家族で、必死に生きてるアイツ、守ってやりたいと思った。でも……」

 彼の大きな手が、私の頬をそっと包み込む。

「それ以上に、守りたいって想う人……見つけたから」

 初めて出逢ったあの時、あの瞬間。

『姉ちゃん。コイツカズト』
『はじめ、まして……』

 緊張のせいか、体を強張らせながら折り目正しく頭を下げる彼を、可愛いと思った。
 そして、意識しだしたのは――。

「すぐなんて言いません。アナタの答えが出るまで待ちます。少しずつでいいから」

 俺を、好きになってください――。

 抱きしめられた腕は強く、広くて温かい。
 頭の中で響く。

『君の本心を、聞かせて欲しい』

 デザートが来る前に言われた、重苦しい言葉。
 彼は、このことを予感していたのだろうか。
 私はグルグル考えていたら、彼が耳元で微かに笑う。

「全部、俺のせいにしてください」
「え……」
「コウのことも、さっきのシュンスケって人のことも、俺が上手くやりますから」
「なにっ、大学生の、バイトの……分際でっ」

 嗚咽交じりの言葉で必死に言い返すと、耳元にクスリと笑う声が吐息と共に触れた。

「ひとつ、いいこと教えておきます」
「は?」
「この店はですね……」

 驚く私に殴られながらも、笑ってあやす年下くんは、デザートの器を手にり、スプーンですくったプティングを私の口の前に差し出す。
 私は膨らませた頬を緩め、上目遣いに睨むと、少しだけ口を開いてスプーンを受け入れた。
 甘いけれど、その後広がるほろ苦さ。

「俺、いい男になりますから」
「私を口説くなら、当たり前よ」
「じゃ、予約ってことで」
「は?」

 首を傾げ、顔をしかめる私にカズトは目を細めて不敵に笑った。

「いつかアナタに捧げるプロポーズの、予約です」

 ――求婚リザベーション。

 それはきっと。

「大学生のボキャブラリーって、陳腐ね」
「ひどいなぁ」
「ははっ……」

 そう遠くない、恋の予感。

 end

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