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風雲!練馬城

「練馬城」をご存知ですか?
たぶん、ご存知ないでしょうね。
今はもう跡形もありません。
今では、正確な配置も形もわからないようです。
じつは、このお城、現在の豊島園の場所にあったのです。

豊島園入り口

「練馬区」にあるのに、なぜ「練馬」園ではなく「豊島」園かと思ったことありませんか?(ないか!笑)
じつは、練馬城を築いた一族の名前が「豊島氏」だったので、その名前に因んで「豊島園」と名付けられたそうです。

先日、久しぶりに豊島園に行く機会があったので、練馬城の名残を探ってきました。
正面入り口を入ってすぐ左側の小高い丘に、練馬城の本丸があったと考えられているそうです。
ウォータースライダーやら、巨大なチューリップやらで賑やかな一角です。
戦国時代のお城など、想像すらできませんね。

(練馬城本丸跡)

ほかに痕跡がないか周りを眺めて見ると、石神井川に沿って古い石垣がありました。

(謎の石垣が...)

その上の雑木林の中には神社かあります。
豊島園側からは入れませんが、もしかしてら豊島氏の頃から続くのでは、と歴史のロマンが掻き立てられます。

(木立の中に神社が)

前述したように練馬城は、この一帯を支配していた豊島氏のお城です。
石神井公園付近にあった石神井城が豊島氏の本拠地です。
今でも石神井あたりでよく名前を聞く「照姫」は、石神井城城主、豊島泰経の次女と伝えられています。
その豊島泰経の弟・豊島泰明が根城にしていたのが練馬城です。

時は1470年頃、室町戦国時代です。
江戸城を作った上杉家家来の太田道灌が練馬城を攻撃、その後、豊島氏との間で「江古田の戦い」が起こります。
江古田の戦いで、練馬城城主の泰明は戦死し、豊島氏は練馬城、石神井城からも敗退したと言われています。
太田道灌との戦さ以降、練馬城は消滅したようで、その後、遺構すらも廃れて現在に至っているようです。

500年ほど前、この平和な遊園地に戦国のお城があり、サムライが一族の存亡を賭けて戦っていたと思うと、感慨深いものがあります。
練馬は奥が深いですねー??

(更科潤二)

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