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どなりおじさん考

 通勤時、駅のホームで電車を待っていた時のことだ。私の前には数人が並んでいた。電車が到着してドアが開くと、人波が溢れ出す。降りる人々が途切れるのには、もう数秒かかりそうだ。そんなことを考えながら、手に持っていたスマホに見るともなく目線を向けた瞬間。後ろから怒鳴り声がした。

「スマホばっかり見てボーッとしてたら後ろの迷惑だろうが!!!」

 振り返ると、私よりは幾分か年上であろう男性がいた。先ほどの怒声はこの男性が発したものであるらしく、苦々しい表情で舌打ちをしていた。私は大声で怒鳴られたことに面食らったまま、人の流れに乗って車内に乗り込んだ。

 車内はそれなりに混んでいて、私はその男性と隣り合って吊り革を握った。まだ心臓はどきどきしていたが、頭では先刻の状況を振り返り始めた。たしかに「ながらスマホ」は危ない。これから電車に乗り込もうという時には、スマホを鞄に仕舞い込み、全ての意識を乗車行為に集中すべきだったのかもしれぬ。だから、私の側に一点の陰りもないわけではないのだろう。
 その一方で、いきなり怒髪天で恫喝されるほどの無礼をこの男性に働いたのかと考えると、あくまで私の物差しではNOであった。明らかに無礼の天秤が傾き過ぎである。
 せっかく(?)彼がまだ真隣にいたので、「だからっていきなり怒鳴らなくても良いでしょう」とか、「前の人達が乗り込むのを待っていたんですよ」とか返答すべきかと考えた。しかし対話が成立する見込みは、かなり少なかった。そんなことをすれば、さらなる罵声を浴びせられるルートは容易に想像がついた。最悪、殴られる可能性だってある。それはできれば避けたい。
 しかし、そのまま受け流すこともできなかった私は、無言で彼を見つめることにした。睨むのではなく、なるべく感情を込めない視線で、至近距離からじっと観察し続けた。それは私なりの抗議であり、意図的な無礼だった。しばらくすると、彼はドア2つ分くらい向こうへ歩いて行った。

 念のため、これは武勇伝のたぐいではない。私の行動は子供じみていて褒められたものではないし、もし相手が悪ければもっと酷いことになっていたかもしれない。

 それから、ひと月くらい経っていただろうか。電車の中で、再び怒鳴り声を聞いた。見ると、私を怒鳴りつけたのと同じ男性だ。彼はベンチシートに座っており、ひとり挟んだ位置に座っている女性に向けて声を荒げていた。いわく「足組んで座るのはマナー違反だろうが!!!」。女性はひどく驚いた様子で「すみませんっ」と足を揃えて、そのまま電車を降りるまで縮こまっていた。間に挟まれた人は、彼女への気遣いもあってかもしれない、寝たふりを決め込んだようだった。
 なお車内はいつもより空いており、座席は埋まっていたものの立っているのは車内に2,3人という状況だった。彼女が足を組んでいたところで、誰かを蹴っ飛ばす心配はまず無いと言える。
 私は脳内でくだんの男性に「じゃあ人をいきなり怒鳴りつけるのはマナーを守っているのか?」と息巻いた。脳内だけだ。実際は、またも彼に抗議の視線を送っただけである。今度はちょっと睨んでいたと思う。

 少し頭が冷えてから考えた。もしかしたら彼は、「怒鳴ることのできる相手」を探しているのではないか。いくらむしゃくしゃしていたとしても、さすがに他人を理由もなく攻撃することは難しい。そこで、指摘できる隙があって自分に殴りかかってこなさそうな相手を見つけると、暴力的な「正義」を投げつけることで憂さ晴らしをする。
 パワハラやモラハラも、これと似た構図になっていることがある。普通に生きていて、何一つ間違わない人間など居ない。しかしハラスメントをする者は、される者のわずかな過失をも見逃さず、完膚なきまでに叩こうとする。そして、その攻撃が生じた責任は叩かれたほうにあり、あたかも自身の攻撃が正義の鉄槌であるかのように語るだろう。だが実際には、攻撃者たちは【最初から】鉄槌を構えている。彼らにとっては鉄槌を振り下ろすことこそが目的なのであり、その正当性を裏付けるための理由を虎視眈々と探しているのだ。

 家族や部下などターゲットを決めて攻撃する者もいれば、今回の男性や「ぶつかりおじさん」のように、不特定多数(厳密には反撃されなさそうな相手を選別している)を狙う者もいる。彼らがモンスターと化すまでの道程について私は知る由もないが、思いを馳せる。ぷかりと憐憫が浮かんだ。

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