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何もしたくない、を尊重する

自宅に伺うと、
患者さんのこれまでのことをより知ることができます。

「実はねこれ私作ったの」
売り物かと思うほどの作品を披露してくれる方も。

「やることがない」「寝てばっか」といつもおっしゃるので

欲しい人がいたら、作ろうってやる気になって、日々も充実するのでは?
なんて考えて
「作ってくれませんか」と図々しいお願いをしてみると、


「もうやりとないわ」「十分やったで」


やり切った、という感覚。
私は感じたことがないかもしれません。

その域に達するとどんな世界が待っているのだろう?

何かすることがあれば、日々も充実する
と思い込んでいましたが、
そうとは限らない、こちらの押し付けになることもあるよな
と改めて感じました。

「何もしたくない」
その言葉の背景を探ると、面白い
と思った今日この頃。


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