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「宮城リョータ」と私

「宮城リョータ」と私はいくつか共通する点がある。

小中とバスケをやっていた私は、中心世代の中2の時の背番号は7番だった。

3年の時だけ分校して新しい学校で5番をつけていたけど、5番を背負っていたのはたった3ヶ月だったし、副キャプテンでも無かったから「背番号は?」と聞かれたら「7番」と答えている。そういえば、前の中学のユニフォームは紺だったけど、最後の中学のユニフォームの色は湘北と同じ赤色だった。

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身長は167cmあるいわゆる高身長女子だ。

リョータは「小柄ガードの原点」に対し、私は市が主催するセンター講習会の参加に名指しで指名されるぐらいの「万年センター」だった。

性別もポジションも違ったためだいぶ遅いが、最近になって「リョータと身長があまり変わらない」ことに気がついた。

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リョータが夏のインターハイに出た時点では、兄のソータが失踪して8年経っていた。私の父も他界して今年で8年経つ。計算では9回忌だろうか。

カオルの「もう8年経つんだね」は私にも重ねることが出来ることに気がついたのも、鑑賞回数が2桁超えたつい最近のことだ。

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リョータがソータの赤いリストバンドを母に見つからないよう、大事に持っていたときも思い出した。

今は親元を離れて一人暮らしをしているが、いくつか実家から父が遺したものを持ってきて使っている。ガラスのCDラック、コーヒーメーカー、カーキのコート。

コーヒーメーカーに関しては、私が一人暮らしするとき家電屋でコーヒーメーカーを買おうかと相談したところ、母が「お父さんが独身の時から持っていたものがある」とキッチンの奥底から眠っていたものを引っ張り出してくれた。そこだけはリョータと逆かな。

それだけではない。リョータとソータが同じ誕生日だったように、私もまた父と同じ誕生日だった。毎年誕生日ケーキは私がチョコレートが好きだったので、いつも私に合わせてチョコレートケーキだった。

こちらもつい最近知ったのだが、Twitterで劇中の年代設定を考察してる方曰く、カレンダーから推察ではどうやら1996年が濃厚らしい。

何を隠そう、私は1996年生まれなのである。
(9月生まれなのでインハイ時は生まれてはいない)

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リョータとは身長、背番号、身内を亡くしたこと、亡くしてからの年数、その他もろもろこれだけ共通項がありながらも、今までリョータに自分自身を投影することは無かった。

私にとってリョータはずっと尊敬の対象だった。

リョータだけでなく、ポイントガード全般尊敬している。

「スラムダンク」に登場する選手も、実際のプロのバスケットボール選手も、バスケをやってた当時のキャプテンもそうだ。

私は司令塔タイプでも無ければ、コートを終始駆け回るスタミナも無い、ドリブルが下手だからボールキープも出来ない、多分今ハンドリングしたらレッグとかバックパスとか出来ないだろうな。

リョータは私に無いもの全てを持っていたし、身長が重要となる”バスケ”というスポーツで”低身長”という最大のハンデを抱えながらも立ち向かうリョータの背中がやたらと広く大きく見えていた。

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「スラムダンク」の影響でバスケを始めた人が多いと思うが、私の場合は逆で、バスケを始めてから「スラムダンク」を読み始めた身である。

バスケを始めたのは小4の時、友達の誘いがきっかけだった。「スラムダンク」をしっかり読んだのは中2ぐらいだったと思う。

そもそもかなりの平和主義でスポーツ向きの性格ではないのと、小中の6年間で「バスケはやり切った」と感じて中学でバスケは辞めてしまったけど、バスケを辞めてからもずっと「スラムダンク」が大好きで、”漫画は基本アニメ派”の私が唯一紙の本で全巻持っている漫画が「スラムダンク」だ。

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何より「THE FIRST SLAMDUNK」の映画公開時期が個人的な年齢としてベストなタイミングだった。

アニメ放映も終了して「スラムダンク」にとって静の期間である平成生まれの私が、スタッフがこだわり戦い抜いた令和の最新技術で、映画館の大スクリーンで、大好きな山王戦を、自分の稼いだお金で気が向くまま何回も見に行ける。

社会人になって「自分の稼いだお金で見に行ける」という点が自分にとって物凄く大きな意味を成していると思う。

気を抜けばTwitterでは「スラムダンク」のツイートばかりしているし、毎日のように「毒されている」と思いつつ、「10年以上好きな作品なんだから当たり前の結果」という自分への理解もある。

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リョータが「バスケだけが生きる支えだった」ように、私もまた「『スラムダンク』が生きる支え」である。

「スラムダンク」の登場人物で性格もプレイスタイルも誰も似てないと思うが、ただ1人共通項が多い「宮城リョータ」という選手は私にたくさんのことを教え、思い出させてくれた。

"過去"を受け入れ”今”を突破する、17歳の彼がそう教えてくれた。

勝手にリョータと重ねて聴いているMONOEYESの「Run Run」。巷で言うイメソンってやつなのかな?

「Then I hear the sound
Someone's knocking on the door
I'm sorry but this room's been long vacant」

「誰かがドアをノックする音が聞こえる 
ごめんねここはずっと空き部屋だよ」

Don't you seeI'm just waiting
「分からないかな 僕はただ待ってるんだ」

I know it's hard to just let go
There's no time for freaking out
「忘れてくのはほんとうに辛いこと
パニックになってる暇はない」


Keep standing in lines
「それでも続けていかなくちゃ」

Run, run you'll be just fine
「逃げ出せ きっと大丈夫だから」

MONOEYESの曲は風が心臓を真っ直ぐ吹き抜けるようで大好き。きっと細美さんだから「逃げてもいい」と言えるんだろうな。早くこの曲でダイバーが頭上を転がりまくってた荒々しい光景がまた見たい。



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