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映画『凪の海』に寄せて 脚本いながききよたか 【コギトの本棚特別篇】 その4

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2017年7月22日、シナハンを終え、私たちは帰京しました。
帰ってすぐに、シナリオ執筆に取りかかろうと考えていたのですが、そのまえに、一つ、私は早川君に、あるお願いをしていました。
それは、登場人物の名前を監督に決めてもらうことです。

主人公と、彼とゆかりの深い兄妹の名前です。なぜか、その三人は私が決めるよりは監督が決めなければならないと感じていました。
翌23日には、すぐに早川君から返信が来ました。そこには、井上圭介、中江洋、中江凪という三人の名前が載っていました。

実を言えば、私は登場人物の名前をつけることが得意ではありません。他の作家さんにもいろいろ作法があると思いますが、私はいつも、本棚を眺め、できるだけ有名でない作家の名字をランダムにつけたり、将棋の棋士名鑑を見ながらランダムに決めたり、できるだけ意味と色のない名前をつけるよう心がけます。
なにか登場人物の特徴のようなものを名前に反映させようとする方もいますが、これは、演芸の世界でよく使われる『クサい』感じがします。もちろん『クサさ』が程よい場合もあるので、なんとも言えませんが、作劇的に言えば、登場人物がより記号化するような気がします。

翻って、監督が決めてくれた、この三人の名前はものすごく適度なものでした。節度を守りながら、それでいてどこか登場人物の個性も匂うのです。
これを得て一気にあらすじが沸き立ちました。

実は、乱暴にも私はそのあらすじを監督に伝えぬまま、シナリオ作業に入りました。
ある意味、それがこのシナリオを引き受けるときの条件だったりもしたのです。
普段の仕事では、いきなりシナリオを書くなどと言う事はほとんどありません。

その時々のパートナーであるプロデューサーや監督に、設定表を作って確認してもらい、次に人物表を作って確認してもらい、あらすじを作り、プロットを作り、と、階段を上るように仕事が進んでいきます。この作業を経るのは意味があり、一つは、効率のため、もう一つは事故が起らぬようにするためです。いきなりシナリオを見せて、パートナーが納得しなければ、再びシナリオを書き直すとやっていくと、膨大な時間がかかってしまうのです。
ただ、この細かい段階を踏むやり方には、何か損なわれる部分もあると感じます。それはある種のダイナミックさなのかもしれません。
そして、せっかく、誰に縛られるでもなく映画を撮るのだというなら、私はおもいっきりシナリオを書きたい、そんなわがままを監督に伝えたのでした。
早川君は、おまかせしますと言ってくれました。ありがたいことでした。

私のシナリオ作法は、まず登場人物からです。登場人物を考え、あらすじ(ログラインといったりしますね)と往復を重ね、次はハコを割ります。そうやってようやくシナリオに着手します。この間、誰にも縛られず自由にやり通すことは、純粋に喜びでした。出来たシナリオが監督に気に入られなければ、何度でも書き直せばいい、納得するまでやろう、納期があるわけではないのだから、そういう気持ちで臨みました。
すると、いつもよりも執筆がはかどります。
メールのログを今確認してみると、監督から人物表が届いたのが、7/23、そして初稿を送ったのが、8/14でした。ほぼ20日間ですか。普段は、ゼロから始めれば、優に一ヶ月以上はかかるところ20日で書いたのですから、ずいぶん早かったのだなと思います。
そこから監督とのやりとりを経て、決定稿入稿が9/23。もう撮影は目前でした。

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いよいよ撮影が始まろうとしていました。それまで、自分が書いたシナリオの撮影を撮影スタッフで参加するという経験を私は何度もしていたのですが、近年はできるだけ避けたいなと感じていました。というのは、自分自身でシナリオを書いているがゆえに一足飛びに私だけ見えてしまうことが多いからです。
しかし、この『凪の海』はなにしろ小規模な自主映画でした。人海戦術がものをいい、人の手は、ボランティアであれば、あればあっただけよかったのでした。
プロデューサーを買ってでてくれた山田君も、「やっぱりきよたかさんも来てもらっていいですか」と言ってくれたので、私はのこのこと撮影隊についていきました。もしかしたらどこかでその言葉を待っていたのかも知れないなとも感じていました。
ともあれ、10月初旬、我々は『凪の海』の撮影のために、一路、愛媛県へと向かったのです。

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(つづく)


映画「凪の海」公式ホームページ
劇場情報 渋谷ユーロスペース

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