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映画『凪の海』に寄せて 脚本いながききよたか 【コギトの本棚特別篇】 その2

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それからすぐ私は早川君に、彼の郷里へと連れ出されました。シナリオハンティング、通称:シナハンです。

私の中には、まだ、今の『凪の海』につながるスジのようなものはありませんでした。
通常シナハンといっても、さまざまなケースがあります。すでに作家の中に確固たるスジがある場合も、舞台となる土地の空気をぼんやりと吸うために行く場合も。今回は後者でした。

松山空港におりたち、早川君の父君が運転する車で愛媛を南下、南予地方へと車を走らせます。
四国を訪れるのは、私にとって二度目のことでした。
四国という土地に曰く言いがたい魅力を感じていた私は、新婚旅行にその地を選んだのです。
私にとって四国は文化の地です。夏目漱石と正岡子規、伊丹万作、大江健三郎と伊丹十三、猪熊弦一郎に丹下健三、牧野富太郎、私が愛する人々の多くがその地から出現しました。
そのせいか、何年ぶりかにその地の空気を吸うと、自然と落ち着く自分を感じました。
それだけに、気を引き締めねばなりません。なぜなら私は、この短い時間の中で、狙い済ましたように映画のヒントを得なければならないからです。
シナハンの心得は意外と難しく、上記のようにかたっくるしいだけでもダメですし、観光マインドで、ひがな酒を喰らいながらブラブラするだけでもダメ、要は綱渡りです。

宇和島に着きました。宇和島は早川君の故郷です。そこから父君が船を出してくれました。私は監督と共に船に乗り込み、四国の南西部を海側、つまり宇和海上からずっと眺めました。元々山育ちの私にとって、海は、ある種のわけのわからぬとことん茫洋とした場所、それだけに憧憬の詰まった場所です。その日は抜けるような快晴で海面は凪いでいました。水平走行をする船上から、すべるように移動していく陸地を監督と見つめながら、そこに何かが生まれる予感があるのを意識していました。豊後水道の宇和海上は私に不思議な感覚をもたらします。陸と海が複雑に入り組み、今自分がどこにいるのか、その起点がどんどん曖昧になっていくのです。

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やがて船は、早川家の親戚が住む蒋渕という岬に到着しました。真珠の養殖が盛んな小さな集落です。私は強く直感しました。ここがこれから生み出される映画の場所になると。
理由はわかりません。なぜなんでしょうか。
シナハンには、時折、こういうことが起ります。起らねば、それまで。このような直感に遭遇すればそのシナハンは成功、ということになるでしょう。
理由を、あえていくつか書けば、一つはその地で監督の表情が変わったこと。もう一つは、その地に何か濃密な生と死が混在していたこと、そしてそれが決して悲劇をまとっていなかったこと。更に、陽をさえぎる東にそびえる山の傾斜、遮られた陽の光が間接的に照らす凪いだ海、その山と海のほんのわずかな狭間で暮らす人々の生き生きとした生活、それらが渾然一体となって、突如ドラマが浮かび上がってきたということでしょうか。

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元来、岬という場所は魅力的なのです。中上健次を引き合いに出すまでもなく、袋小路でありながら、いつでも外への希望を含んだ場所。私はこの地をモデルにシナリオを書くだろうという確信を得ました。
ただ、舞台は用意出来たものの、私はまだ、この映画の真ん中を走る主人公と、その強い動機を見いだせていませんでした。
そこで、私は監督を風呂へと誘いました。もはや土地を巡るシナハンはいりません。あとは、監督自身を巡るシナハンです。それは、おそらく痛みもともなうハンティングになるでしょう。それでも私は虚飾を剥いだ状態で、監督の内面を聞き出さねばならないと考え、一緒に風呂に入りました。

(つづく)

映画「凪の海」公式ホームページ

劇場情報 渋谷ユーロスペース

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