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”メイクは自分のためにする”何が悪い!

私はSNSキュレーションメディアで美容情報を集めたり、メイクアップ画像動画を見ることが多いのだが、いつも疑問に思っていることがある。コメント欄に「その色似合ってない」とか「もっとこうした方が良い」とか書き込んでいる人は一体どういう気持ちなんだろう?

ポジティブな意見だけ書けと言いたい訳ではない。投稿に対してコメントが集まるくらいのインフルエンサーなら少なからずアンチも居るだろうしね…。

使用しているアイテムについてのマイナス意見だったり、自分のオススメアイテムの紹介(私はこっちの方が好きとか)そのメイク自体の「好き」「嫌い」なら理解できる。ただメイクはその人が好きな色やアイテムを自由に使って楽しめば良いもので、似合うから使うべき、似合わないから使わない方が良いと人を判断するものでも、判断されるものでもないと思うのだ。

例えば相手が女優で「今回の役どころは葬儀屋です」って言ってるのに真っ赤なリップ付けてたら流石にそれは葬儀屋という役に”相応しくない色”ですねと言ってもおかしくないだろうけど。
わざわざマウントを取る必要ある?と常々思うのだ。

私にとってメイクは完全な趣味だ。人にどう思われるかは割とどうでも良くて、メイクするという行為そのものに楽しさを感じている。好きなコスメに囲まれていれば幸せだし、新作情報を見ながらどんなメイクが出来るか想像するとワクワクする((o(´∀`)o))

メイクをする理由や考え方は人それぞれ。身だしなみだったり、キレイになるための手段だったり、コンプレックスを隠すためだったり、あるいはもうひとりの自分になるためだったり、自己アピールのツールだったり…。

「ちょっとでも可愛いと思われたい」とか「若く見られたい」とか、誰かの目を意識するのは、その目に映る自分をより良いものにするため。
私のように完全自己満足の趣味であれ、人に良く思われたいという願望であれ、根本は”自分を尊重するためにする”のがMakeupであるべきだと思うのだ。

私には数年前、ひどい皮膚疾患にかかりメイクが全く出来なかった時期がある。それまでメイク=最低限の身だしなみと考えていた私。全く興味がなかったわけではないけれど、同世代の女性に比べれば無頓着な方だったと思う。

ステロイド治療で症状がいったん改善しても、またすぐに炎症起こして皮膚科へ逆戻り。その繰り返し。洗顔ですら痛みや痒みを伴うし、滲出液でスキンケアやメイクもままならない。身体は隠せても顔は隠せず、人と顔を合わせるのが恥ずかしくて、仕事と通院以外で外出するのが嫌で嫌で仕方なかった。

そんな状態が1年ほど続き、脱ステロイド期間も含め約2年経って、ようやく肌が落ち着くと、抑圧されていたものが一気に噴出💨気になるコスメ💄を買い漁り、めいっぱいメイクして行きたかったところに気兼ねなく行けるようになった。これがもう、本当に幸せで楽しいのなんの😆

眠っていた女子が飛び起きてアクロバット始めたくらいの変わりように、旦那様もはじめこそ困惑していたが、引き篭もっているよりはマシだと諦めてくれたらしい😅

当時はまだ美容雑誌を見たり百貨店のコスメカウンターでBAさんに教えてもらったりして、その時々のトレンドメイクを見様見真似でたしなむ程度だったのが、今のように”趣味”と言い切る程になったのには2つのきっかけがある。

1つ目がメイクアップアーティスト吉川康雄氏のコラムを読んだこと、そして彼がクリエイターを務めた、今はなき溺愛コスメブランド『CHICCA』との出会いだ。
(※CHICCAについてはこちらの記事⇩でも紹介しています)

コラムにはこんなことが書かれていた。

「女性は生涯、美しくなることを堂々と楽しめる性に生まれついている」にも関わらず「“美しくなる”という喜びには、同時に苦しさや悲しさも伴い、人生のハードルの高さも突きつけられている」

理想とする美を持った他者への憧れと、自分の持って生まれたものとの乖離による自己否定とで自分に自信をなくす人が多いこと。さらに、完璧な美を定義づけて、これに当てはまらないと”美しくない”と思い込まされ、コンプレックスを刺激する美容業界のプロモーションが追い打ちをかけていると言うのだ。

美容の最前線に居る吉川氏が堂々とこう言い切ったことに衝撃を受け、彼の提案する「生まれつき美人に見せるメイク」、CHICCAのブランドコンセプトである”インビジブルメイク”に興味を持った。

誰かが決めた美しさ(あるいは自分の理想)を目指すためではなく、自分が自分らしく輝くためにメイクを楽しもうよ!美しさは1つじゃないよ!と教えられた。

一番大切なのは、自分が自分に正直に、綺麗だと思ったこと、それを恥ずかしげもなくやること。人からかっこいい、オシャレっていわれるんじゃないかって、気にしているうちはだめなんですね、正直にならないと。

雑誌のインタビュー記事のこの言葉が、革新的な美を提案し続ける吉川様らしくて大好きだ。

もう1つのきっかけが海外のメイクアップジャンキー達のYou Tubeチャンネルを見始めたこと。
元BAの友達が、英語とメイクの勉強になるよと教えてくれたのが、NikkieTutorialsだった。

圧倒的なメイクテクニック豊富なアイディア、親しみやすいキャラクターと聞き取りやすい英語ですぐに夢中になった。グラムルックアートメイクが中心で、技術面でも真似できるようなものではないけれど、メイクって人それぞれ楽しみ方があってイイよね!と思わせてくれる。何よりいつも楽しそうにメイクする姿が本当に可愛くて大好き💗

これを機にジェフリー・スターキャサリン・ライツジェームス・チャールズなど、いわゆる”Beauty guru”達のSNSを見るようになって、今まで考えもしなかったコスメの使い方や、色の組み合わせを知り、私自身もメイクを楽しめるようになった。

吉川氏とは全く違ったアプローチながら、メイクとは本来楽しいもので、自分を輝かせるためのものでなければならないと気づかせてくれた。トレンドを知ることも大事だけど、それに縛られて自分の好きな色ルックを楽しめなくなるのは勿体ない!

SNSのコメントに限らず、日常生活でもとかくマウントを取られることは多い。イエベ・ブルベデパコス・プチプラ論争もそうだし、顔立ちや職業、年齢による偏見もある。私の場合は「子供が居ない人は自分のことにお金かけれて羨ましい」なんて素直に受け取りにくい言葉を投げかけられることもある。

本人は良かれと思って言っているのかもしれない。私みたいなメイク初心者が頑張っちゃってるのが痛々しく思えるのかもしれない。それとも私のメイクや美容に関するスタンスがその人の感情を逆なでしていたのだろうか?それはわからない。ただそれを言われることで少なからず傷ついたり、嫌な気持ちになる可能性があることはわかって欲しいし、もしアドバイスしたいならもうちょっと言い方あるでしょ?とは思う。

私は世間でどんなにマット肌が流行ってもツヤ肌メイク辞める気ないし、いい歳してまぶたキラキラさせるなよ、みっともない!って言われても偏光ラメ愛し続けるし、デパコスだろうがプチプラだろうが好きなものは好きだと言いたい!

誰かのためにメイクしてるわけじゃない!私は私のためのMakeupを楽しんで生きていく。

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