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「自分を許す」を思考する

こんにちは、みほです。

今日は、個人的な体験をひとつ
シェアしたいと思って書き始めました。

ご存知の方もいるかと思いますが
私は身体のことを専門に活動しています。

いまある姿勢や動き方は
これまでの思考やその人の歴史によって
形作られていく。

そして、生きてきた歴史が
自己イメージの形成に深く関わっている。

ということを
科学的にも信じているわけですが

「自己イメージ」や「習慣」は
自らが思うよりも強く
深いものだったりします。

それを踏まえてここからは
私が体験したことを
シェアしますね。

胸が動くということ

私が学んでいる「動きの探索」の
理解を深めるために

経験を積んだ先輩たちからの
パーソナルレッスンを受けることを
定期的にしています。

私の身体の中でも特に
「胸のあたり」
の動きが出づらく
なかなか厄介な習慣を持っている
この身体…。

そこで
「胸が動く感覚を取り戻したい」
とリクエストしてみました。

ちなみに、「胸」はここの骨格のこと。

余談ですが、この「胸郭」
人の機能の中でも

1、2を争うほどに
動きがなくなっていくのが
多い部位でもあります。

特に、
今まで生きてきた歴史において

・緊張することが多い
・人の目が気になる
・頑張り(すぎ)屋
・自分を賢く見せたい
・息を止めてしまうことが多い

などなどの背景を持つ人の多くは
どうやって動かすのか
忘れてしまうんですよね。

そして胸の部分は、
身体の中にある内臓の中でも

心臓や肺などを
骨の中にしまって
守っている場所でもあります。

傷つくことを、
極端に恐れていた私の胸が

動きを失っているのは
なんら不思議なことでは
ありませんでした。

さて、いざレッスンが始まって
助けを借りながらも
自分の身体と会話しました。

頭で考えるのではなくて
身体の感覚フィードバックによって
脳内の神経システムを刺激します。

約60分のレッスンが終わって
胸を動かしてみます。

そうすると、
今までどう足掻いても
感じることの出来なかった動きが
私の胸郭で起こりました。

胸の真ん中にある
「胸骨」が
不必要な努力をやめて
動き始めたのです。

胸骨はここ

「胸のつかえが落ちる」
って、こうゆう事なんだ。

と、身体が動く経験を通じて
腑に落ちたのを覚えています。

あぁ、自分の身体って
こんな風に動けるんだ。

あぁ、何を今まで
胸の中に抱えていたんだろう。

私は、私のままでいいんだ。

そう思えたら、
目から涙が溢れてきて。

悲しいんじゃないし
自分がいったい
何を胸にしまっていたのか
わからないけど。

生まれて初めて、
「自分でいること」を
許せたような感覚と

こんな風に動けるんだ
っていう嬉しさで

涙が溢れて仕方がなかったです。

習慣を手放すということ

今でも、まだまだ私の胸は
進化を遂げている最中で
日々探索を続けています。

だけど私の神経回路が経験した
あの動きの感動は今でも忘れないし

こうして思い出すだけでも
涙が出そうになります。

なんでなんだか、
言語化はできません。

だけどこうして振り返ってみると
習慣化している物事を
手放していくって簡単ではないし

もしかしたら

すぐに出来ることもあれば
半年後に出来るかもしれない
時にはもっと長く、
かかってしまうかもしれない。

それでも、
自分の習慣を良い意味で諦めて
そして寄り添い、優しい習慣を
見つけることが出来たら

こんなに満たされて
満たされることで伝えられる事も
増えていくものだなぁ

と考えたりしています。



生きることは動くこと

私の活動のテーマは
「体から生きることの選択肢を増やす」です。

なぜその考え方になったのかは
こういった経験があったからです。

自分の身体の動きを通じて
生きている人生のヒントを得る

自分をもっと好きになりたい人や
自分の人生に興味がある人は

こういった探索をぜひ一緒にできれば
新しいヒントになると思う。

そして、私が満ち足りた様に
こうした幸せを感じる人を
増やしていきたいものです。

2019.08
日々精進

2020年7月、後日談
〜〜〜
この記事を書いて約1年経っても
やっぱり当時のことを思い出すと
胸がいっぱいになる想いです。

身体は、知っているんだと思います。
自分が本当にどうしたいのか?
何を求めて、どんなことに心動くのか?


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支えられて生きています。いつもありがとうございます。