見出し画像

「人に優しく」は向上する。

こんばんは、みほです。

いま、帰りの電車でこのnoteを
やや駆け足で書いています。

起こった出来事を
後でまた振り返れるように。

先日、同じ路線に乗っていて
前の席に座っていた方が
荷物を忘れて降りて行きました。

その時私は、仕事終わりで
時間は22時を過ぎていました。

いま降りて追いかけて
この電車を逃したら
家に着くのが24時近くなってしまう。

“どうしよう…。”

と悩んでいる間に、
別の方が親切にバッグを持って
追いかけて行かれました。

結果的に、
電車は1分程停車していたので

もし私が早く行動できていたら
渡してまた乗り込むことが
できていたと思うと

なんだか情けなくて
心の中で小さなわだかまりとして
残っているような気がしました。

そしてまた今日、時間は違えど
私は同じ路線で帰路に着いています。

私の隣に座っていた方が
下車する為に席を立った時
座席の下には忘れ物。

今回は、何も考えずに
忘れ物を手に取り
その方に手渡すことができました。

そこで、ふと我に返って
考えたことがふたつあります。

1.これは偶然じゃない
2.前回できなかったのはなぜか?

1.については、単純に

「こんな状況週に2回もあるなんて
何か意味があるに違いない」

と感じたからです。

「周りの人に優しくしようね」

と言われて育ってきた私たち。

けれど何が優しさなのかなんて
常に同じ答えはあるはずもなく
結果として相手が
喜んでくれたかどうかで決まる。

だけど優しくありたいと
(少なくとも私は)思ってしまう。

その為の経験の積み重ねの中には
「優しさを間違える」
という事も必要なのかもしれない。

そんな風に思った。

「人に優しくできなかった経験」
があるから、

生まれる優しさもあるのかな。と。

いつも次があるなんて
甘えていてはいけないけれど

人に優しくできなかった時の苦い経験も
活かす事ができれば苦くなくなる

そんな気がしてる。

とはいえ、忘れ物は
とっさに届けてあげれなきゃね…。

とやや落ち込みながら

「どうしてあの日、
忘れ物を届ける事ができなかったのか」

を振り返ってみた。

そしたら、
理由はたぶんこれだと気がついた。

この間もnoteで

どうしても人生で避けて通れないあまり考えたくないこと

についても書きましたが、

この出来事が起こった日こそが
人に優しくできなかった日だった、
と。

大事な人を労わる為にも、
まずは自分自身に親切になって

自分を可愛がることが
はじめの一歩だと日々考えているけど

まさに

こうして心乱れることが
少しでもあった故
人を気遣う余裕が減った。

だからこそ
自分が乱れない軸を持つことや
その為の多角的な視点を養うことは
めちゃ大事よね。

そんな事を感じながら
ひたすら書いてたら
駅に着いたので

この辺で。

お読み頂き
ありがとうございました。

日々精進
2019.04


支えられて生きています。いつもありがとうございます。