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ここ最近の、「自分軸」に感じていた違和感。

こんにちは、みほです。

唐突ですが
「自分のことを知る」って簡単じゃないと思うんです。
だからこそみんな悩んで、失敗するんですよね。

先日ブログにも書きましたが、
わたしもほんの3年前まで「熱中できるもの」が
なかなか見つからなくて、苦しかったです。

そうゆう時は、いろんな意見に流されて
全部が良く見えて、全部が自分に必要な事を言っている
そんな気がしていました。

ブログはこっち↓

さいきん、みんな言ってる「自分軸」の話。
(とくにTwitter)

わたしも、自分を基準にして考えることとか
自分の気持ちに沿って行動することって
大事なことだと思うんです。

…思うんだけど、なんか違和感を感じることが多くて。

自分もね、相当な社会不適合者で
わたしがやりたい事をやるために!って
いつも奮闘していますけど。

自分とは違う理解の「自分軸」の人も
結構いて。
いや、当たり前なんですけどね。

なんていうか
「ただわがままに」を「自分軸」だと
思っている人もいるんだなぁ。

って。

想いに正直になるって、
「自分とは違う意見を排除する」
という事とは、違うと思うのよね。

そこ勘違いしてる人のこと
否定している気はないけど(正直に、むむ?とは思っているw)
人を不愉快にさせることがあるのは事実で。

なぜならそういう人は
「自分の意見に賛同しないものを排除する」
傾向にあるので

ただひたすらに「自分の話」しかしない。

「自分のやってきたこと」だけを
信じている人は、とにかくそこに依存する。

自分を傷つけまいと奮闘するあまり
少しでも犠牲が生じるとぷりぷりと怒りだす。
もしくはネチネチ言って(く)る。

「時間が奪われた」とか
「そういった考えじゃ共感されない」とか
それっぽい感じで。

いちいち時間が〜〜〜!とか
そんなこと言ってたら
コミュニケーションなんて取れないと思う。

自分の軸を持って貫くことは
それを守るために相手に嫌な想いをさせていい
ということではない。

自分が何が好きで、何が苦手か理解する。
その中で、自分が大切にしたい物事が見つかる。

「自分軸」で考えられるということは
自分が大事にしたいものを守るために
相手の気持ちも尊重できることだと思う。


とはいえ、自分の事ばかり話す人とは
わたしは距離を置いている。
なぜなら、話が建設的ではないから。

意見を混ぜていくことが難しい人と
一緒に何かをするのは厳しい。
と感じてるから。

だけどもし、そんな人と話す機会があれば

「私とあなたって感性が合わないから、さようなら」
じゃなくて
「私とあなたは感性が合わないけど、どう思う?」

って考えられたら素敵だと思う。

まぁ結局、類は友を呼ぶので
それはそれでいいのか…とか思ったりもするけど。

取り留めのない話でした。

2019.06
日々精進

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