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42℃

しっかりねたはずなのに頭が溶けそうです。(ねつ(病)とかそういうことではない、生まれながらに持った微熱(比喩))
頭が溶けそうな時に文字をかいてのこしてみたいのでこのまま文字書きます。

まず、あーとについて
ぼくは現代美術のような抽象的な絵がいやだなあとおもいます。
ポンピデュー展にいったときは、早足で会場を抜けてしまいました。
あの後は、美術館をでて少し歩いたところにある木下の石にすわって気を休めていました。
周りの人が足を組んで座っているボクを奇妙な目でみてるなと思いました。

あの日のような気持ち悪さが今日の朝も感じる。

TLでならよしともという文字をみた、それがトリガーとなったきがする。
うちの叔母はならよしともが表現する人に似ている。
たぶん、全世界の人が身近に”ならよしともチック”な人間が近くにいるのだと思う。

そんなことはどうだっていい。。

そして、よくわからない薄い雲を頭に漂わせたまま、ベルナールビュッフェの思い出をついーとsた。

(よだんだが、キーボードで文字を打ってる時のタイポがすきである。これはキーボードで文字を表現した場合でないと起こりえなかったエラーというところに面白さを感じられる。)

話をもどす。

そのツイートにじぶんのなかのアートマウントスノッブ野郎が発動したのではないかとおもって、吐きそうになる。
吐きそうになるのは比喩的だけど、本当になんか不快な感じがする。
アートは自分のスノッブを満たすために摂取するものではないだろう。
クソ野郎。

なんか飽きてきた。
自分の文を読み返す余裕がでてきた、この気持ち悪さから抜け出すフェーズに入っている。
でも一個だけ書きたいことがあるから、かくね。

ボクは小学生の時 母の実家で『伝染るんです』をよんだ、
まあ、衝撃だった。
かっこよいと思った。
『船を建てる』を読んだ、オシャレだと思った。
でもそんな漫画を摂取してカッコつけた気になってる自分がどこか嫌だった。好きなら好きでいいはずなのに、その行為を行なっている自分が嫌だった。
そんなのどうでもいいけどね
『いぬまるだしっ』がやっぱりすきです。

ばいばい。

あっあt