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ベトナムのDIY精神と新陳代謝する家

【オロロトリヒロ より】
みなさんDIYしてますか?
DIYとはDo It Yourselfの略語で専門業者じゃない人が自分で何か作ったり修理したりすること。
僕も最近楽器を置くためのテーブルを自作しました。ホームセンターで木材をカットしてもらって、やすりがけして、オイルを塗って、脚を取り付けて。いやぁ、結構楽しいんですよこれが。塗装ムラができたりカットが甘かったり、仕上がりが完璧にならなかったりするところに逆に愛着が持てたりして。
サイズを調整できるし材料にそこまでこだわらなければ既製品を買うよりも安く済むのでお財布にもやさしい。最近は流行っていることもあってかホームセンターに自宅で作業スペースがない人のための無料の貸し出しスペースがあったりするようです。

そんなDIYをめぐって2017年にベトナムの音楽教室で体験したことを思い出しつつ書いてみたいと思います。

ベトナムのDIYハウス

僕がベトナムで滞在した街はタイニン省というホーチミンから北西に100kmくらい行った地方都市。商業ビルやホテルもあるけど人々の住む家の多くは簡素なものが多い。特に通っていた音楽教室やその周辺は手作り感のある家が多かった。レンガにトタンの屋根、1階建てで玄関は無く、各部屋の扉もほとんど無し。基礎は業者かもしれないけど建物自体はおそらくDIYで作られたもの。電気とwifiはあるけどエアコン、冷蔵庫、お風呂(浴槽)は無し。

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温暖な気候があって成立する風通しの良い簡素な作りの家々。ただ、家をDIYするのは何より経済的な理由も大きいのだと思う。そして音楽教室ではおそらく同じように経済的な理由で教室の備品も手作りしていた。スピーカーを改造して作ったギターアンプやカポという演奏に使う道具まで。

もちろん手作り故の不便さはある。屋根は雨漏りするし、スピーカーの音も決して一般的に良いとされる音ではない。ある時日本は裕福で羨ましいと言われたことがある。現地の人たちからしたら僕が彼らをみて素敵だと言っても全くありがたいものではないと思う。でも修理や改良を繰り返しながら物や道具と付き合っていく生活はとても素晴らしいものだと思ったし、無ければ自分で作ってしまおうという本来のDIY精神のようなものを感じて率直にとてもかっこいいと思った。

新陳代謝する家

さてそんな音楽教室に通っている間にあることが起きた。音楽教室に住む家族の方が亡くなったのだ。通っている間一度も会うことが無かった寝たきりのおじいさんだった。先生から事情を説明されてそこから3日間音楽教室は休みになり葬式が行われた。

僕は葬式には参加せずに先生に言われたとおり4日目の朝に教室に行った。
先生に挨拶をして遺影に手を合わせてからしばらく楽器の練習をしていると奥の部屋から大きな音が。
見に行って見るとそこには衝撃的な光景が。
男たちが総出で亡くなったおじいさんが寝たきりで過ごしていただろう部屋の壁をでかいハンマーでバコンバコン殴って壊しているのである。そして元の壁とは別の場所に新しい壁を建て始めている。その光景を見た時何が起きたか分からずポカーンとしてしまった。
どうやらおじいさんが亡くなったので残った家族が住みやすいように部屋の間取りを変えていたのだ。そしてその日の夕方、新しい間取りが大方できるとテーブルを置いてお酒を飲み始めた。

家ってそんなに気軽に間取り変えるものだっけ?
故人への想いや悲しみがどう消化されているのかもとても気になったけど、思い立ったら壁壊しちゃうみたいな作る壊すへの気軽さにめちゃくちゃビックリしてしまった。そうか自分で作れるってことは、いつでも自分で壊せるし、作り直すこともできることなんだ。

その後も新しい部屋は家具や物が運ばれて毎日少しづつ新しい間取りに合わせて変化していった。その様子は「家」という大きな生き物が人の死や悲しみや記憶を飲み込んで自身に取り込み変化しているように思えて少し怖いと思った。そしてよくよく観察してみると元おじいさんの部屋以外も日々かなり頻度で少しづつ家を改修していることに気づいた。床にコンクリートを流し込んだりトタンに穴を塞いだり。家の改修は日々の日課であり、家が住む人たちと一緒に呼吸して新陳代謝を繰り返しているようだった。

ここまで書いたタイニン省での体験や価値観がベトナム全土でどの程度通じるのかは正直分からない。都会化していない地域独特の価値観なものかもしれないし、宗教や各家庭の経済状況も関係があると思う。とは言え同じDIYと言っても日本とは大分感覚が違う。
作る・壊す・作り直すが近くにあること。後は良い意味のおおらかさ。いずれ壊すだろうということなのか綺麗に作るとか完成度を求める感覚があまり無いように感じた。
拙い文章でどこまで伝わっているか自信がないが、とにかくこの一連の体験はかなりのカルチャーショックだった。

とりあえずやってみよう

過去の関わったワークショップなどを振り返っても日本で物作りがなかなか気軽なものにならないなと感じるのは完成度を重要視したり綺麗に作らないといけないという思い込みがあるのかもしれない。あとは失敗したくないとか。残るものにしないといけないとか。初めてやることにも無駄なプレッシャーが多いのはなんとなく感じる。

Do It Yourself = やってみよう!
子ども大人もこうあるべきという思い込みを捨てて先ず作ってみる、気に入らなかったら壊して直す、というくらい気軽にDIYできたらきっと楽しい。
だって素人だもん、失敗したって良いという開き直りを準備しておけばOK。
そしてDIYを通して人と物や道具との関係ってのは確実に変わると思う。愛着だけでなくもっと根源的な関わることの楽しさや喜びのようなもの。
家具でも楽器でもおもちゃでもゲームでも何でも作ってみよう。
(余談ですが僕はギターをゼロから作ってみたいな、なんて)

ちなみにベトナムの伝統音楽カイルオンは漢字で書くと「改良」。まさに古典に改良を加えたという行為そのものが新しい伝統音楽の名前になっている。こんなところにも作る・壊す・作り直すが身近なベトナム流のDIY精神があるのかもしれない。





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