わたしのゆるふわ宗教観

わたしはクリスチャンではないが、聖書が好きだ。
聖書を読むと、なんとなく心地よい気持ちになる。

また、教会に行ったらお祈りをするし、聖歌を歌う。
なんの抵抗もなく、自然にできる。

ここまでできるのになぜクリスチャンと名乗らないのかというと、神社で手を合わせるのも大好きだからである。

お寺にお参りするのも好き。

小学生のとき、天理教教会の友人に誘われておぢばがえりに行ったときは、朝のおつとめの時間が楽しかった。


たぶん、手を合わせたり、歌ったり、祈ったりする瞬間が好きなのだ。

心が静かになる感じ。

そしてこれはまったく個人的なのだが、宗教によってやり方が違うだけで、祈りを捧げている先は同じ神様なのではないか、と考えている。

ゆえに、特定の宗教に帰属したいという願望はそんなになくて、いつでも神様に感謝し、人としてきちんとした行動ができればそれでいいや、と思っている。

なんともゆるふわな宗教観である。

だから、宗教をもっている人とのつきあいに苦労したことはないし、宗教をもっている人と出会うと自分の視野が広がってラッキーだとさえ感じる。

現代における宗教は、ひとつのライフスタイルである。

宗教をもっている人と一緒に行動するときは、どんな宗教であってもその人のスタイルを尊重するし、一緒に楽しい時間を共有したいと思っている。


しいていうなら、自分の宗教や無神論を押し付けてきたりして、このゆるゆるな宗教観を理解してくれない人とはあまり一緒にいたくないなと思う。

わたしは菜食主義もまったく違和感がなくて(野菜大好き)、いつ移行しても大丈夫だな〜なんて考えているのだが、先日のニュースのようにお肉屋さんを襲撃するタイプの菜食主義者たちとは関わりたくないなと思っている。

そんな感じ。



独善的でなく、いろんな価値観を認め合える人と交流していきたい。

神様はきっと、そのためにいろんな人間を作ったんだよね。




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