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不義理と後回し

自分主導で動くことが苦手な私は、いつでもきっかけや出会いやチャンスを友達にもらっている気がする。
いつかそのお返しをしたいとその時には思うのだけれど、どれだけのことで報いなければならないんだろう、と呆然としているうちにまた再びお世話になってしまう、そしてまた「恩返しもできぬうちにまたして頂いてしまった…何をお返しできるだろう…」と呆然としているうちに、今度は違う方に助けられ、そうして助けられの渡り歩きをしているうちに、最初の人へのお返しがどんどん遠くなってしまう。
だからいつも、誰かにずっと不義理をして生きてきているような気がしている。

すぐに、ちょっとしたことでもいいからお返ししたらいいのだ。
ちょっとした「ありがとう」のお手紙とか、ちょっとしたものを送ったり、なにかのチャンスに会いにいったり。
後回しにせずにすぐ実行したら、何年も気をもむこともない。
それなのに「いや、こんなささやかなことではいけないのではないか」「こんなもの、いらなかったらどうしよう」なんて思ってもじもじしている間に、あっという間に時間が過ぎてしまう。
時間が経ってしまったらそれこそ「ささやかなもの」では済まなくなる。何をいまさら、ということになるじゃないか。
特に数年前までは分単位でスケジュールが詰まっていたから、毎日は疾風のごとく過ぎ去り、不義理の山だけがずんずんと積もってこころを圧迫していた。
そしてそれは、今でも、ある。

「後回しにしない」と何十年も自分を戒めているはずなのに、私は大事なことほど後回しにする。
ほんとうにやめてほしい。
この悪癖を治したい。
でも、治らない。
なにか大きな改革が必要なのだろう。
なにか死ぬほど困ることがないと改められないのだろうか?
自分の精神の甘さがいやだ。

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