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ナナカマド

大量にトマトソースを煮込み、友人を家に呼んで、長いこと話をした。
夕方、友人が帰ってから近くの公園で散歩をする。
わたしはこの公園が大好きで、気持ちがくさくさするとここに来てふらりと一周したり、芝生に寝転んで本を読んだり、お気に入りの木の幹に手を当ててみたりする。
もともと石切場だったこの場所は、100年前に土を入れ、苗木を植えられて、今はちょっとしたマンションよりも高い木をたずさえる立派な公園になっている。

夕陽に照らされてひときわ輝く木があって、あの木の近くに行ってみようよ、と言う。
途中、うつくしく陽が落ちる芝生に目をとらわれたりしながら、そうして近づいてみるとそれはナナカマドだった。

とても大切な友だちが、むかしナナカマドというペンネームを使っていたことを思い出した。
七回かまどに入れられて焼かれても、燃え尽きないほど強いからナナカマドという名前になったの。
わたしもそういう風になりたくて、この名前をつけたんだ。
彼女がその名前を名乗っていたのはもう10年以上も前のことだ。

いま彼女は精神的にあまり元気な状態ではない。
私から見ても、彼女のひととなりと状況の中では、八方塞がりだろうなということは想像ができる。
彼女は公平だし、何かをひとのせいにしようとしないし、理想に対して高い志を持っている。
でも彼女はいつも自分を責めすぎている。
自分が幸せになる価値がないと考えている。
私がどんなに、あなたの心はうつくしいし、もっと気持ちを楽にして自分への束縛を解いてあげなきゃ、と話してみても、
彼女は自分をほんとうの意味で赦すことができない。

陽に燃えるナナカマドを見ながら、彼女に会いたいな、と思う。
ほんとうは何も言わずにそばにいたり、一緒にあたたかいカフェオレボールを手で包みながら下らないお笑いのDVDを見たりしたい。
ねえ、あなたがナナカマドみたいになりたかったのは知ってる。
でも、ナナカマドみたいじゃなくてもいいよ。
何回だって私が火から引っぱりあげてあげる。

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