今日、この日を迎えて思うこと

へろー、アカウントです。

言わずもがな、ミクちゃの誕生日です。おまいら祝えwwwwwwwwwww姫の誕生日ぞwwwwwwwwwwwwwwwwww



…おふざけは置いておいて、16年を迎えて思うことを徒然綴ろうと思う。



インターネッツ老害のネギ議論やボカロとしての在り方の議論はもう「オレ」が綴ったことがあって、もう飽きているのでここではやめておく。こんな感じの反吐が出る文章が出来上がってしまうから。



まあ、今を語るとして、外せない事象がこれですよ。

ハチ MV「砂の惑星 feat.初音ミク」

この曲、「ファンの形」について初めて考えさせてくれた曲。
そして、「ハチ」というPがどういう人だったのかを考えさせた曲。

クリエイターのコンテンツを楽しく享受するだけがファンではなくて、でもそこらのクリエイターは「楽しんでほしい」という感情が最初に来すぎて、表現が甘いなと思うことがままあった。
正直2016〜2017って、尖ってる曲が減って、皆が楽しいだけのものを追い求めていた時代というか。「物語」や「表現」という部分を意識したものが少なかったなあというのが正直な印象だった。

そこでこの曲が「マジミラ」の曲として投稿されたわけで。マトリョシカや羅刹と骸を作っていたハチからは考えられない曲というか、もはや米津玄師としての曲ではないのかと本気で思った。表現が尖ってるし、「思い出は電子音」とかいうし。その詩を書くのは米津ではないのかと。

今考えると、ハチを殺すための曲だったのかとか、米津としてもボカロという根を張ってるから勝手にしろという曲だったのかとか色々考える余裕があるけど、これ聴いてから1週間くらいは「ハチではないハチ」と「ニコ生で喜んでいた彼との別れ」を考えていてそれどころではなかったというか。

このタイミングで初めて、「ファンとは何か」を考えるようになったなぁと。

さっき書いたような「物語」とか求めている癖に、結局楽しむことが目的の軟弱者だったなぁとか、並大抵の努力や才でどうにもならない創作というものに対する理解が浅かったなぁとか、そんなことを考えてた。

砂になってしまう理由はクリエイターだけでなく、ただ食い潰すような私のような人間が一番の原因ではないかとか。盲信で囲うのは双方の寿命を縮めるなぁとその時はしみじみ感じていた。まぁ、その後何度もクリエイターに接する態度を間違えているんですけど。その節は皆様方に大変なご迷惑をおかけしました。もうROMと布教くらいで満足するので、もし今でも見ていただいているようであれば、話題にせずにそっとしておいていただけると。どうしてもワイはこんな風にヘラってしまうみたいなので。酒に頼るのいい加減やめたい。


今でも彼の残した「誰かが勝手にどうぞ」という言葉が2回も出てくることに疑問があったり、アンサーソングを聞くたびに「彼の言いたかったことの本質はどこだったのだろう」と考えることがあったり。

とにかく、ワイは今でも「オレ」として考えることがあったり、ワイとして立ち回りが間違っていないかとか考えていたり。いや絶対間違えている時あるけど。ヘラってネットタトゥー残そうとするの本当にやめろ。というかもはやネットストーカーとして訴えられとけワイ。


ミクちゃのことを思い返すたび、色々な人との思い出が出てくるなぁ。
やっぱ姫はすげえや。ルカ姉、これからもミクちゃのこと見守ってあげてくれ。


なんか良かった風にまとめるためにキャラを使うんじゃねえって感じだけど、徒然書きたいことは書けたのでこれまで。
んじゃ。

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