原点、反芻、反省

へろー、アカウントです。

久々に酒が入ってない夜を過ごしている。転職してから数年、心の底から良いと思えるものを手に入れるための生活も落ち着いてきて、丁度いいタイミングで年末を迎えた。

インフレだのコロナだのヘッタクレだの色々あったが、ここまでゆっくりできているのも巣籠もり需要以来かな。

そんな中で思ったことをば。



私が生きている原点となるのは「死にたい」と5つのときに思ったから。いや、正確には「なんで死にたいんだろう?」と疑問に思ったから。

当時から、人に言葉で伝えるのが苦手だった。人に合わせるのが嫌いだった。運動神経が悪かった。
そして、その日は朝から寝坊した。友達だと思っていた人間に叩かれた。物心をついてから、初めて暴力をふるわれた。下手な絵を描いていたら、「〇〇、絵が下手!」と言われた。迎えに来た母親がたまたま不機嫌で、話を聞いてくれなかった。感情を共有できなかった。

このとき、「すごく悲しい」という感情と「心がぽっかり空いたみたいな」感情を初めて体験した。
「いなくなりたい」と思った。それも、ただいなくなりたいのではない。消えたいという感情に近かった。


自分自身がいなくなる方法は知っていた。それが「死ぬ」という手段だった。だから、「死にたいとはこういうことか」と思った。

ただ、「死ぬのはよくない」とも思った。いや、正確には、父親にそう言われたのかもしれない。
「よくないことは考えてはいけない」と当時は考えていた。だから、「考えてはいけないことを考えたのはなぜだろう?」と思考を変えたのだ。


だが、どれだけ考えても、前提がおかしいという結論にしかならなかった。そしてそうなるとやはり、「死ぬな」というプログラム自体がバグではないかという思考に至る。


じゃあ、死んでみよう。でも、死に方が分からない。
いつもは調べるためにパソコンが使えるけど、今日は母が不機嫌だし、「またゲームするのは駄目」と言われるのがオチだ。

(如何考えても時効なので書いてしまうが、当時の実家のPCには、父親が入れた割れソフトが色々入っていた。
仮に割れが入っていない状態で、普通に調べものにPCを使えたとして、検索履歴に「なんでしんだらだめ」とか「はやいしにかた」とか残っていたらその方がまずかったが。
消し方が分からないのに調べる事のリスクを当時は知らなかった。)


幸か不幸か当時は死なず、そこから何年か後。
義務教育の過程を歩み、教養もそこそこついた状態で、あるシンガーソングライターの曲を聞くことがあった。

それまでは歌を歌うだけだった自分が、比喩を知り、人に聞くことなく、自分で歌詞の意味を考えながら曲を聴けるようになっていた瞬間だった。

その曲は、人の本質的な偽善、醜さを表現した後、その学びから、本当の愛を歌うものだと私は捉えた。

胸を打たれた自分は、この方のことを片っ端から調べた。

「死」について歌っている曲もあった。「死んでしまった」視点からが多い。その視点から言葉を投げかけられると、死ぬという手段が馬鹿馬鹿しく思えた。
心の底から死にたいと思っていた自分を恥じた。


もうこうなったらハマっていくだけだった。その中で、その人は歌手であることに矜持を持ち、芸名としての自分を演じることに全力を注いでいると感じた。(正直、勝手な妄想。)

遅れ馳せながらファンになってから、数少ないライブの映像を見ても「どう見られるか」「どう振る舞うか」「今日のその人であればどう歌うか、昨日とは違うその人とは何か」を考えているようにしか思えなかった。それはラジオを聞いていても、相当に貴重なテレビ出演の際も、「プライベートのその人」と「シンガーソングライターとしてのその人」は違うものだと思った。


このとき、「俺は絵描きにも、歌手にも、ピアニストにも、小説家にもなれない。だけど、自分が進んでいく道の中で、絶対にスペシャリストになって、必ず『偶像としての俺』を作り出す」と誓った。

(正確には、「憧れを捨てられないものにはなれないので、努力しなくても尊敬されるところで頑張る」という逃げの誓いだったが。これがわかったのはつい最近。)


このときの事は、原点、反芻として残っている。

あの時に「消えたい、死にたい」と思わなければ、この出逢いはない訳だ。


このことを思い出しつつ、今この数年を反省している。

その人も年を取り、それでもこの前、新しい曲を出してくださっていることに感動した。色々な意味で、矜持との戦いだったと思う。


私も励まされた身、最底辺でいいから、少しでも上に行けるように頑張りたい。


途中から何書いてたかわからん。
それじゃ。


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