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ヤグチリコ 『アサクサジン』 (東京都台東区)

とにかく本とお酒、それと音楽が好きな彼女が指定する待ち合わせ場所は、いつだってお酒が飲めるお店で、遅刻癖のあるぼくに罪悪感を感じさせないよう本を読んで待っている。メールで「遅れる」というと、「もっと遅れて」と返ってくる。

その日は浅草。指定された待ち合わせ場所は昭和の風情漂う喫茶店。指を挟んだ吉行淳之介の文庫本(エッセイ)をそっとポーチにしまいながら、「冷房が効きすぎのくせに瓶ビールはぬるい」と小さな声で文句を言った。その後、今日1日のデートの内容が明かされる。仲見世通りを抜けて浅草寺までの散歩もいい。花やしきを冷やかすのも悪くない。ホッピー通りで昼からモツ煮込みに溺れるのも悪くない。人力車なんて絶対に乗りたくないという意見は一致する。ぼくはいつもうなづいて「いいね」とだけ言って従うだけ。

今日の最大の目的は『神谷バー』だと彼女は言う。

東京からエントリー ヤグチリコ による ZINE『アサクサジン』は、自分が生まれ育った『浅草』の魅力を等身大の言葉と写真で編集し語っている『浅草愛』にあふれた一冊。 『地元』のひとしかなかなか気づくことができないもうひとつの浅草観光を感じさせてくれるマニアックな1冊。例えば、

神谷バー 
浅草を代表する建物でお馴染み。バーの文字はどこへ行ったのやら扉を開けたらそこは、わいわいがやがやの大衆酒場。デンキブランの刺激はもちろん、度肝を抜かれたのはこのポテトである。北海道住みも唸らせるホクホク感に程よい大きさと甘みよ…。ー ヤグチリコ『アサクサジン』より

こんな風に、浅草のグルメについてひたすら語っているのである。

さて、話は戻る。

お酒が好きな彼女にとって、ぼくと歩く浅草寺や花やしきはあくまで、おいしくお酒を飲むためのエッセンスにすぎない。ぼくの瞳の中に神谷バーのデンキブランの茶色を見ている。そんな彼女は本とお酒、それと音楽が好きだけれど、とにかく嘘をつくことと、列に並ぶことが大嫌いだった。神谷バーの前にたどり着くと、入り口付近に紳士的な雰囲気をまとった60歳はこえているであろうおじさまとおばさま、といった感じの団体が群れをなしている。悪い予感は的中する。言わなくても良いものの、

『並んでまでデンキブランを飲むなんて野暮だね!』

と彼女はそのおじさまおばさまの列に向かって聞こえるよう大きな声で文句を言い、踵を返した。ぼくはそんな彼女の機嫌を取るべく、事前に調べておいたお店に彼女を案内する。

もつ政
ああもうここも大好き。こちらもお肉が大きくて柔らかい。もつ煮、タンハツカシラ、お茶漬け…全部全部おいしいから困る。お店の佇まいはもちろん、店内の雰囲気にも最初は絶対怖気付く。けど、お母さんも息子さんも優しいから安心して入店してね。ー ヤグチリコ『アサクサジン』より

時々プランが崩壊してしまうデートは決まってぼくが立て直す。おいしいモツ焼きを堪能したあとは、ボーリング場に。そして隅田川を眺めたあと、ペリカンのパンとレモンケーキを買いに手を引く。ペリカンのパンは売り切れていたけれど、レモンケーキは1つだけ買うことができた。千鳥足の彼女は別れ際に一言、わたしはお酒も好きだけど甘い物も好きなのと言って、手を振った。家に帰ったらウイスキーと一緒に食べるんだって。ぼくならごめんだなあ。

浅草での思い出話でした。

さてレビュー。

よくあるガイドブックのような、おいしそうな写真に巧みな文章運び、整ったレイアウト、というわけではないけれど、とにかくひたすら全部がおいしそうに見えて、どの店にも行きたくなる、不思議なエネルギーが漂っているこの『アサクサジン』。『アサクサジン』のような ZINE、もしくは彼女のような編集者が、これからの日本の観光のあり方(視点)を変えるかもしれないと思う。頭ではなく舌の上と胃袋で編集してる。街に対する愛さえあれば、並べ方や作り方、正攻法は関係ないというか、『好きこそものの上手なれ』という言葉を体現しているかのような。まさに『好きこそ ZINE の上手なれ』というのはあると思う。今回集まった100冊以上の本からは『好き』という感覚が溢れ出している。これから ZINE を作りたいと考えてるひとは、まず、自分の好きなものを書き並べてみるとよいかもしれないね。そのきっかけはなんでもよいしね。

おなかすいた。

ー Written by 加藤 淳也(PARK GALLERY)

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エントリー 東京都

ヤグチリコ / フーディー

食べて、喋って、考えたりしてます。

大学生最後の春休みに、ある友達が ZINE を売るフリーマーケットに誘ってくれ、それを機に本格的に制作を始めました。思いついたテーマは「浅草」で、ありきたりだけれど22年間育ったそのまちのおいしいお店を載せていこうと考えました。私の日常にある、いつものお店や特別なお店、思い出のお店を独断による偏見で選んでおります。本書の最後にも記載していますが、私はありふれた日常の中にも楽しさのふりかけを忘れずに、生きていきたい。社会に埋もれそうな日々の中でもこんな風に楽しさを寄せ集めて、形にしたりして、私は好き勝手に生きています。ー ヤグチリコ

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