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hatopan 『hatopan FIRST BOOK 2018』(神奈川県横浜市)

21歳の頃、自分が何をしたいのか、何を表現をしたいのかまったくわからずひたすら写ルンですを片手に街に出てみたり、とにかくスケッチブックを買ってきて絵を描いてみたり、原稿用紙を買ってきて文章を書いてみたりするのだけれどどれもこれも途中で終了。最後まで完成させたものなど、ない。

『表現したい』

という漠然とした感覚を抱きながら、『表現なんて別にしたいと思っていない』ひとたちと自分の間に線だけ引いて鼻で笑うだけ笑うのだけれど、表現したくてしていないひとと、別に表現したくないひとがしていないのでは、前者の方が明らかに愚か。アーティスト気取りのただのアルバイトK。時代のせいにはできない。

2000年初頭。ZINE というメディアはあったけれど、ぼくらの中にストンと落とし込まれてる媒体ではなかったように思う。今のように市民権は得てなかった。少し遡って90年代、マーク・ゴンザレスやアリ・マルコポロスがゼロックスのレーザーコピー機でイラストや写真をモノクロコピーして、ホッチキスで止めただけの本を作っているというのを雑誌を通じて知る。スケートカルチャーと、ZINE が親密な関係にあることをこの辺りから理解する。パンクバンドが音楽だけに留まらない自分たちのメッセージを ZINE に託していたり、Riot Grrrl というムーブメントから発信される ZINE の存在=音楽と ZINE の蜜月も理解し始めるが、その当時『何者でもない』ぼくがやっていたのは、エプソンのインクジェットプリンタで自分の撮った写真をモノクロでプリントしてホッチキスで止めるという行為。ホッチキスの位置が気に入らないし、紙の質も良すぎて気に入らない。インクジェットのにじみもなんだかダサいなと思いながら、とてもじゃないけど人に売れたものではないと嘆き、苦しんでいたのは覚えてる。つまりわたしは凡人なのです。情報に飢えてアイデアが枯渇したアルバイトK。時代のせいにはできない。でもセンスないならないなりに毎月なにかしら発刊し続けていたよ。

いまの時代 ZINE を作るきっかけは世の中に溢れている。インターネットをひらけば ZINE の作り方を教えてくれるし、ZINE の作り方の ZINE なんていうのもあるんじゃあないでしょうか。

友人に勧められて初めて ZINE を作ったという hatopan。推定21歳。当時のぼくには考えられないクオリティの ZINE を眺めながら、この15、6年の ZINE というメディアの遷移を考える。

普段何気なく切り取ってきた写真を愛をもって選び、レイアウトして、イラストを添えたシンプルな構成。トレーシングペーパーを挟むというアイデアもいい。このすべての要素、ぼくが21歳の時にもあったはずなのになぜあの時のぼくにこれができなかったのかな。ぼくはスケーターじゃなかったしバンドマンでもなかったからかな。友達がいなかったからかな。

ZINE というメディアはここ10数年でかたちを変えたようにも思う。誰でもチャレンジできるものになった。それはいいことなのかもしくはイージー過ぎてよくないことなのか、あまりまだよくわかっていないけれど、ポジティブな方向に向かうべきなのはわかっている。これから何か始めたいと思う人はぜひ hatopan の ZINE を手にとってみてほしい。初期衝動とその時のセンスと、アイデア、ユーモアが詰まった等身大な ZINE らしい ZINE。ほかのちょっと気取って凝ったものよりこれを選んで見るといい。

もし少しでも ZINE を作るのに悩んでるのであれば悩むのはやめて、まず描いてるものを出力してホッチキスで止めてみるといいよ。

おわり

ー Written by 加藤 淳也(PARK GALLERY)

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