見出し画像

川嶋 克 『男の詩』(大分県日田市)

100冊の ZINE があれば、100人の編集者がいるのだと実感する『COLLECTIVE』。写真やイラスト、言葉を編むという作業が作品の数だけ存在している。選択と判断の連続。誰ひとりとしてオートメーションで作ることはない。仮に一部、デザインや文章、写真などのパートを誰かと組んで作ることはあっても、『他人まかせ』と感じる作品はひとつとしてない。

『編集』という作業に必要とされる能力はだいたい相場が決まっている。まずは着眼点。それぞれの『視点』であり『伝えたいこと』ですね。そしてその切り取り方(テクニックですね)。あとは行動力と決断力。大事なのはコミュニケーション(これは第三者とのコミュニケーションに限らず自問自答も含む)。あとはデザインや文章などの雰囲気の部分は大きいけれど、それは好き好きであって、

・伝えたいことがあって
・そのしかるべき切り取り方と
・そのためのコミュニケーション

この3つを満たしていればおのずと油を精製するかのごとくできてくるものである。上記の行程を経て、濾過されて残ったものがふさわしいデザインであり言葉である、と思う。上手なものがいいかというとそうじゃないし下手なものが伝わらないかというとそうじゃないように。ZINE こそその醍醐味だ。

この『男の詩』はまさに編集のたまもの。大分県日田市の『スナック』文化を切り取り、伝えるための作品。

スナックは単なる時代の産物だったのでしょうか? 斜陽化した今だからこそもう一度、正しい眼差しを投げるべきだと思います。「男の詩」は、僕らがスナックに感じたときめきの答えを探すべく、どうってことない町『日田』の小さな箱庭に僕らの青春を投じた記録であり、新しい文化摩擦を描いた一冊です。ー 川嶋 克

「僕らの青春を投じた記録」とすることで、都築響一や玉袋筋太郎が編集者となって切り取ってきた『スナック』の切り口とは圧倒的に違う。スナックを通じて現代のコミュニケーションの本質を見抜こうとしている強い眼差しを感じる作りになっている。それをひっくり返せば、大分の日田という町で、枯渇したコミュニケーションを水割りにして飲み干したい、あるいは歌い飛ばしたいというようなニュアンス。きっとスナックが好きなんじゃなく、ひとが好きなんだろう、と、そんな風に読み取れる愛すべき一冊。

いま、ローカルは『ヒーロー』という点を求める時代から『編集者』という点を線で結ぶ人材を求める時代へと変化している。

大分県に 川嶋 克 という若き編集者がいることはとてもすばらしいことだと思う。

ー written by 加藤 淳也(PARK GALLERY)

---------

エントリー 大分

川嶋 克 / KATSUMI KAWASHIMA

ディレクター

1992年福岡県飯塚市出身。2017年川嶋克編集室として活動開始。同年ブンボ株式会社 にディレクターとして参画。釣りをしながら、広義の編集について実践の最中にある。

『スナック』という、世界的にも類例をみない社交のカタチ。僕らは今、この独特な社交文化にある種のときめきを感じています。スナックは、その営業形態が生まれたとされる1960年代より間もなくして、全国的な社交飲料のムーブメントとして広がっていきました。それにしてもムーブメントと呼ぶには息が長いスナック文化。30年、40年でもまだまだ、地元の人と街とともに独特な歳を重ねながら、今でも1200軒以上ものスナックがサインを灯しています。

しかし、ママも常連客も次第に歳をとります。閉店に至った老舗スナックの話もよく耳にするようになりました。お店から聞こえる音楽は決まって、スナックの席ではよく思い出として語られる「高度経済成長期〜平成元年」の頃の曲です。スナックは単なる時代の産物だったのでしょうか?斜陽化した今だからこそもう一度、正しい眼差しを投げるべきだと思います。「男の詩」は、僕らがスナックに感じたときめきの答えを探すべく、どうってことない町日田の小さな箱庭に僕らの青春を投じた記録であり、新しい文化摩擦を描いた一冊です。

不安な時代を僕らは過ごしています。仲間は疲れ、「人生の幸せ」 をキーワードに多くの書籍・映画・音楽が世に生み出され、途方に暮れるほどに、偏った幸せの啓蒙が続いています。どれほど時代が変わろうとも、地元の繁華街に目を向けてみれば、繁華街では沢山のママが疲れた地域、心を癒し続けています。貴方がもしも時代になぶられ、人生に迷いを煩ったとき、街角のスナックの扉を開けてみましょう。きっと、何かが変わるかもしれません。ー 川嶋 克

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?