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漫画「クニミツの政」から学ぶ他責思考と思考停止の末路

漫画から学べること

23年前の状況から変わっていないどころか後退している状況って…

「クニミツの政(まつり)」って漫画を知っていますか?
少年マガジンへの連載期間は2001年〜2005年。今から23年も前の漫画。
その頃僕は27歳くらいだったので少年誌の購読はしていなかったのだけれど、食堂とか喫茶店とかにおいてあるのをパラパラとめくったりしていた。
購読をやめてしまうとそれぞれ話しの流れが見えないので、読みたい漫画も2つくらいしかなくて、それですら読まない週もでてくるから自然と少年誌を読むこと自体から遠のいていく。
この漫画は「サイコメトラーEIJI」のスピンオフ企画の漫画だったので、少年マガジンの購読はしていないものの気になっていて、ちょうど蕎麦屋でパラパラとめくっていたら連載開始の時だった。
でも、それもやはりそこで最後まで連載を追うことはしなかったな…

それから随分あとに、ネット配信で一気に最後まで読んだのだけれど、その時はよくできているし感動するシーンもあるけれど
「なるほど…」「まあ全てじゃないだろうけど…」という程度の感想。

そして再度この漫画を読んだのは一昨年前職を辞めてから個人事業主になる辺りから。その時は作者の言わんとすることがよく理解できたし、23年前の政治の状態を現在の状況に照らし合わせて読むことができたから、かなりの感銘を受けた…というか、この国の本質的な問題が23年前から変わっていないしむしろ後退しているということに、わかってはいたものの改めてその危機感を強く感じた。

独立したばかりで自分と向き合う時間が長かったせいもあって、他責思考だった過去と自責思考になってからのストレス減を自分の中で整理している時だったから、主人公の言動にとても共感する部分が多かった。
加えて、YOUTUBEで安芸高田市長と市議会のやりとりもよく見ていたから、地方政治という僕の住む飛騨市にも(どこの地方行政にも)共通している問題と市民の在り方という部分でもとても学びがあった。
ちょうど翌年に自分の住む集落の区長を拝命することになっていたので、自分の住む区に対しての区民の在り方も含めた世の中の縮図の基本的な構造を改めてココから学ぶことにもなった。

生徒会長選挙から学ぶこと

この漫画で主人公の武藤国光が最初に挑む選挙が、とある高校の生徒会長選挙。主人公の年齢が若干18歳であることなどいろいろ設定が面白いのだけれど、その中で、将来ジャーナリストを目指す新聞部の部長と生徒のやり取りがなかなかわかりやすい。

生徒A
「生徒会長選挙のことさ 新聞部では何も動かいないの?」
生徒B
「そりゃ 選挙が終わったら結果くらいは記事にするつもりだけど…」
生徒A
「君ってジャーナリスト志望だったよね しかも政治部記者になりたいって言ってた…なのにそんなに無関心でいいのかい?」
生徒B
「だって どうせ城戸くんの一人勝ちに決まってるし 生徒もあんまり興味ないみたいだし…」
生徒A
「興味がないってゆゆしき問題だと思わないか?」
生徒B
「そんな大げさな たかが高校の生徒会長を選ぶだけでしょ?」
生徒A
「じゃあ聞くけど 日本の選挙の投票率の低さについてジャーナリストの卵としての君はどう思っている?」
生徒B
「もちろん問題だと思うわ…<中略>…投票率をあげないかぎりこの国は決してよくはならない」
生徒A
「なるほど さすがだね じゃあ聞くけど 自分の通っている学校の生徒会長を決める選挙すら関心のない連中が、3年生にいたってはわずか2年後に選挙権を手にすること※についてはどう思う?(※2001年の話です) 彼らは果たして投票所に足を運ぶ大人になるかな? 君もジャーナリストの卵なら この身近な問題を放置すべきじゃないと思うんだけどな…」

「クニミツの政」第2巻より

最小単位の区長を拝命して感じたこと

少し前で書いたように昨年1年間、自分の住む集落の区長を拝命した。区長は選挙ではなく輪番制だから選挙で選ばれたわけではないので、区の運営に興味があろうがなかろうが、よほどのことでもないかぎり断る理由もないし、遅かれ早かれいずれは自分たちの世代が担うことになるのであれば、早くやるに越したことはない…という思いだった。
特に僕は23年前に東京から移住してきた人間だから、拝命するに当たっては色んな人に話を聞く必要があったし、長老クラスの方から「今からウチに来れんか?」なんて呼ばれたりもした。

彼らの話は「今後の集落」を憂う声が多かった。
若い人間が区長になることによって起こる問題もいくつか並べ立てられた。
その中には自分たち威厳が薄まって来てしまうことを憂うものもあったけれど、それは世の理でもあるので盛者必衰、世代交代として受けれいてもらうしかない。
でも思いはアツかった。
「昔は区長は選挙で決めた。一度受けたら死ぬ気でやった」
「先祖が残してくれた山や木の財産は守っていかなくちゃならない。そのためには自分の身を犠牲にしてでもやることはやってきた」
彼らはそういう時代を生きてきたし、彼らの自己犠牲の上に今があるということもわかる。
ただ、実際に1年区長を拝命して見て思うのは、これからの…というよりも本来は、区の運営はもっと理性的であるべきし、やっぱり、たかだか30軒にも満たない集落ではあるけれど、縮図だった。それもとても濃厚な縮図だ。

30軒に満たない集落だから話がまとまりやすい…なんてことはなく、熱い想いがあって区の今後に真剣な方も入れば、他責思考の人、そもそも興味がない人、総集会で思いがあっても発言はせず、あとからグチグチという人、全く関係ない話に持っていく人、何かひとこと言いたい人…いろいろいる。
区の運営も世代交代のフェーズであるし時代の変わり目でもあるから、本質を理解して残すべきところは残す、変えなくちゃならないところは変える…ということをしていくのが常なんだけれど、人の心の動きだとか心理学的な側面も含めてかなり考えて勧めていかないとそうスムーズには変わらないもの。区長を拝命したばかりの志が途中で「今までと同じでもいーじゃねーか?みんな興味ないんだし…」なんて思いも出てきてしまいますよ…

でも1年の任期を終えてやっぱりこの経験ができてよかったと思う。僕自身はこの経験がなかったら人としてもステップアップできない局面だったんだろう…そんなことも思う。
だから区長が輪番制で回るというのも、皆がそれぞれの思いや対応に差こそあれ、一度区の現状に対峙するというのはとても良いこと…

そんな貴重な経験を経て(たぶんウチの集落は軒数が少ないのであと2回は区長が回ってくるけれど…)改めて「クニミツの政」を読むと今まで以上に深い理解ができる。

選挙戦はあった方が良い

そういえば、先日飛騨市の市長選挙と市議会議員選挙が告示日だった。
まあおおかた予想はついていただけど、市長選は対抗馬がなく、また市議選は候補者が議席数を超えずに共に無投票で決着。
僕は地域の候補者を区として応援するための連絡員という役割を仰せつかったけれど、コレもいろいろ問題があるなぁと思う。
そもそも自民党員でもなければ、自民党推しでもない。どちらかといえば自民党はヤバいと思っている人間が、自民党系の候補者の応援をするというのも無理がある。
この辺は地方行政が小選挙区の自民党国会議員の予算確保に頼らざるを得ない現状だからなのか?まあ、特にインフラの更新も含めまとまったお金がかかるフェーズなので仕方がない側面もあるけれど…

あとは候補者のアジェンダが見えにくいということもあるし、見えたところであまりにも弱い…というのもある。

安芸高田市長の奮闘で地方政治にスポットが当たる

こういう市政や市議会の見方を大きく変えたのが安芸高田市市長。
「やり過ぎ」とか賛否両論あるけれど、現状の問題点を捉えていない市議会に大きな問題があるし、安芸高田市長の言葉を借りればその市議を選んだ無関心な市民にも大きな問題がある。
YOUTUBEでの市議会のやり取りや市民説明会の動画を見ていると、今日の地方行政に共通する問題と、その問題と向き合おうとしない市民、そしてその市民が選んだ市議会議員の質の悪さが目立つ。
もちろん、市民の代表として身を粉にして働く議員さんがたも多くいるけれど、それすらも見ようとしないという無関心のもとには大した競争も起きないし危機感も生まれない。

そういう意味では、今回の飛騨市の選挙戦が無投票で終わったことは、一方で選挙戦で発生するコストや選挙戦に関わる人の時間が守られたという部分では楽だったものの、現職を含め継続で出馬する候補者に対する評価ができないという点では残念だった。
でも今回の市議選の関係者はアツかったな…全てを見ているわけではないけれど、少なくとも僕の知る限りでは応援する人間もアツかったし、30歳代の若手が新たに立候補もしていた。

ただ、応援している人が「誰を」「どんな理由で」応援しているのかがよく分からなかった。「地域から誰か一人議員を出さなくちゃならない」という理由のみが先行した椅子取りゲームの応援をアツくやっている感もあった。候補者のアジェンダも方向性さえ時代にあってさえ入れば良いし、地方市議会の選挙ではあえてセンシティブなポイントに触れる遊説なんてするわけもないから、少なくとも僕にはあまり応援ポイントが分からなかった。

仮にしっかりとした選挙戦が行われたとして、僕の住む地区ではないところから出た候補者が、自分の地域よりもかなりしっかりとしたビジョンを持って、問題の本質を捉え、センシティブな部分にも切り込んだアジェンダを立てていたとしたら、僕は間違いなくそっちに投票する。
…なんてことを思う。

テクニカルな政治は有権者には意味を持たない

こういうことを書くと「政治をわかっていない…」とかそういう話になる場合も多いけれど、選挙の原理原則を本質的に考えたら、政治家や政治評論家しかわからないテクニカルな部分は実際に投票して彼らを選ぶ責任を持った有権者には大した意味を持たない。
有能でも汚職をするようなヤツに票は入れられないし、真面目でも無能なやつにも投票したくない…。「どっちにしますか?」っていう二択になるから選挙にも行かなくなる。
この二択構造をなんとかするのは市民のシゴトでもあるのだけれど「もう誰がやっても変わんねーや」とあきらめてしまう末…の今がある。

そんな地方行政の選挙も、もっと小さいコミュニティの集落の区の運営も、結局のところ世の中の縮図で、日本ではその一番大きなフィールドが国政。

選挙に行かなくなるヤツが増えると、現政権が囲い込む票の濃度が自ずと濃くなるから、結果何も変わらないし、更に悪くなる…
これが与党と野党の間で繰り広げられる、全世界の権謀術数渦巻く…というか巻き込まれちゃっている中での知略の応酬。
メディアも巻き込まれているし、国民はテレビ、新聞のメディアを無条件に信じる傾向があるから、ある意味思考停止状態で、本当に何が起こっているかを見ようとしない。YOUTUBEやSNSでテレビとは真逆のニュースや海外での評価にリーチできるものの、あまりにも沢山の情報の中から真実を見抜く目は思考停止の状態では働かずに、結局ところ「テレビ・新聞で言っていないから陰謀論…」といういちばんダメなプロセスで着地する…
そんな日本の国政の状況が悪くなって得をするのは誰なんでしょうか?

嘘の多い国政よりももっと身近なコミュニティの問題に目を向ける

普段思考停止している人間がテレビや新聞のニュースで国政の枝葉の部分に飲み込まれちゃって、更に芸能ニュースにも並行して飲み込まれているから、地に足ついていない中で溺れている状態。
まずは自分にもっと近いコミュニティの問題に目を向けていれば、より本質的なところを理解できるのではないか?と
常に自戒の念を込めて…思う。

今思えば、僕も良くなかった…というか全然ダメだった。
思考停止も良いとこだ。
「自民党じゃダメだけど、野党にまともなところありますか?」
「もうちょっと野党にしっかりしてもらわないと…」
なんて、他責思考で国政選挙に投票していたし、現政権への投票はしなかったものの投げやりだった…

テメーで考えてもらわなきゃ意味がない

現政権に投票していないんだから、戦後最悪の総理大臣を選んだ責任は自分にはない…むしろ被害者だ…なんて本気で考えている人がいたら、その思考がまさに他責そのもの。過失0%なんてこともなければ100%被害者だなんてこともない。

と、今のこんな状況を予言するかのように、今から23年も前に、架空の新千葉ヶ崎市長選を通じて「クニミツの政」は漫画というとてもわかり易い形で語っている。
さらに凄いのは地域の医師不足という医療問題に触れながら、インフルエンザの解熱剤による薬害や(これは昨今のコロナワクチンに当てはあります)、農薬や抗生物質に汚染された食の問題にも切り込んでいること。

これらのことが、主人公武藤国光を通して僕たち国民と同じ目線で語られているというところが本当に素晴らしい。この武藤国光は第1話から最終回に至るまで首尾一貫してピュアだ。何にもスポイルされないから常に目指すゴールがわかりやすい。右と左、双方の意見を効いて絶妙な着地点を…なんてテクニカルなことは一切ないからわかりやすいというのもある。
彼の言動を見ていると、いろいろなことを難しい言葉を並べてややこしくしているのは結局のところ人なんだな…と思う。

彼は言う

「クニミツの政」第21巻より

「でもオレッチはこの新千葉ヶ崎のみなみなさまにももうちっと勉強ってやつをしてもらいてぇと思ってる オレッチの「変えない改革」ってうやつァそういうことよ 誰かにやってもらうんじゃなくて 住んでるもんみんなが勉強してくことで町をよくしていく・・わかるか?
容れモンよくする前にまず中身だろうが 住んでいるもんがよくなんなきゃいくら見た目よくしたって結局いずれは元の木阿弥だ!
<中略>
おんなじなんじゃねえかなあ 町作りとかってのもよォ
町のみなさんにカネよりまず知恵を出してもらう でもって そん中からここぞってとこにだけ役所が金出しゃいいんだ
<中略>
手とり足取り教える必要はねえんだ
きっかけだけで
そっから先は
テメーで考えてもらわなきゃ意味がねえ
そのためには
まずオレがどうにかしようと思ってんのは学校よ…

「クニミツの政」第21巻より

この続きから教育に言及して、まさに今の飛騨市の取り組みのような形を言っているのも良いんだけれど、
「テメーで考えてもらわなきゃ意味がねえ」
まさにこの言葉に尽きる。

思考停止とは「現実から見える本質と向き合わないこと」

思考停止とは「現実から見える本質と向き合わないこと」
考えているようで枝葉部分に惑わされているだけっていう状態が今の状態。
こんな状況を自分で選んでしまっている部分もあるし、巧みに選ばされているということもあるけれど、
それを自責思考で「ジブンゴト」として捉えているのが武藤国光という男の言葉だ。

日本の分岐点、どっちに進むか?

迫る憲法改正「緊急事態条項」

世の中は今大きな分岐点にいると思う。
特に日本はこの国が本来持っている特性を取り戻すか?失うか?という局面。「2025年日本はなくなる:コロナ後にやってくる、この国のヤバすぎる真実」という本が最近発刊されたけど、決して大げさじゃないくらいの状況だし「食」の部分で言えば、種子法の廃止や種苗法の改正によりその安全性の大部分を既に多国籍企業に売り渡してしまっているような状況。
そして次に来るのが、ある意味ここが最後の砦でもある憲法改正、とりわけ緊急事態条項について。

皆さんは緊急事態条項についてどのくらい知っていますか?
もし知っているとしてその情報はどこから得た情報ですか?

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インターネット上ではそれこそ様々な情報が出ていますが、自分に都合の良い情報を正しい情報として受けれていませんか?

これを思考停止のまま受け入れるか、本質と向き合って「いや通すわけにわいかん」と立ち上がれるか?

まさに分岐点。

こんな状況下で武藤国光の言葉が刺さる。
今彼が実在したら、一体どんな言葉を語り、どんな動きをするんだろうか?

僕は今まで政治的な発言はなるべくしないようにしてきた人間。
でもこれって政治的な発言なんだろうか?というのを考えることが多くなった。僕らが生きていく上でとても重要な問題を話しているに過ぎないし、それって当たり前のことだろうって思う。
そういった問題を表舞台にあげてもらうことを託す人を選ぶのが市・県・国の選挙。託すだけじゃダメで、ちゃんと託す人を選ばないといけないし、まずはこの現状を自分自身が発信していく必要がある。

そんな思いから生まれた1つの行動が、このNOTEでの投稿です。
ここまで読んでいただいて、
「ちょっと”クニミツの政”を読んでみたい!」
という方はぜひ読んでみてください。

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コミックシーモアの読み放題プランで読めますし、今なら初回登録で7日間は無料になります。

穿った見方をせずに、素直に真正面から武藤国光の言葉を聞いてやってほしいと思います。

という記事を書きながら改めて「クニミツの政」を読んだり、種子法、種苗法問題、緊急事態条項、ワクチン問題などを読み直して、とっちらかっているアタマの中を整理しています。
この漫画は、これからの自分と向き合う時にアタマの中を整理するのにとても役に立ちます。少なくとも僕には…


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