見出し画像

『さやかに星はきらめき』 (村山早紀 著) 読了感想

猫と犬が、月で本を作る。
…最初、あらすじを拝見したとき、なんてメルヘンで素敵なんだろう、きっと絵本のように可愛らしいお話に違いない、と心躍りました。
ネコビトもイヌビトも、トリビトや他の登場人物たちも、もちろん可愛らしくて、魅力的で、大好きです。
だけれども、読み終えた今、単なる可愛らしさだけでは説明のつけられない、パイのような多層的な多幸感と深い想いを受け取ったような気がして、それがなんなのか、をずっと考えていました。

そして僭越ながら、読者向けゲラ読みをした折に、私の感じている"パイ"の構造を書かせて頂きました(長文すみません)。
以下、ゲラ読みをさせて頂いたときの感想です。
(ネタバレを多数含みますので、読まれる前の方はバックしてお戻りくださいプリーズ。)

"パイ"(作品)の土台となる第一層には、作品全体を覆う、望郷と贖罪の想いとでもいうべき感情がどっしりと漂っていました。
本作の舞台は月、それも人類が住めなくしてしまった地球から逃れた先の星です。
登場人物たちは、皆ほぼ一様に地球への郷愁の念に焦がれながら、日々を過ごしています。
小野不由美さんの『魔性の子』から言葉を借りると、皆「故国喪失者」…いえ、故星喪失者と言えるでしょう。
帰りたいけれど帰れない…そうした寄るべのなさが、どこか静謐で寂しいけれども優しい世界を構成していて、そこに触れる度に共感の涙が出てくるのかなぁと感じます。
また、今まさに故国を追われようとしている人々のことも想いながら書いて下さったのかなぁと勝手ながら思っていました。

"パイ"の第二層を占めるのは、奇跡はリアルの地続きにしか起こり得ない、という実感でした。
作中話では大小様々な"奇跡"が起こりますが、作中の現実世界を覆すことは起こりません。
「守護天使」で女の子以外の皆が亡くなったこと、「魔法の船」で魂だけはるかな未来に取り残されたこと、「White Christmas」で人間がいなくなった荒野を"彼"が一人で彷徨っていたこと、「ある魔女の物語」で彼女が人知れず戦争の惨禍から町を守り散ったこと…
それらの物語すべてで、時間は巻き戻らないし、死者は蘇らないし、失われたものは元には戻らないのです。

奇跡"はそうした悲劇を経た先の、ささやかな希望の発露です。
起こったことは無かったことにはならない…神様的な奇跡を安易に書かずに、作中の現実世界に向かい合い描かれた、村山先生の誠実さを感じました。
またこれは、今の私たちに対して、第一層と第二層で共通するメッセージでもあるのかなと思います。
起こったことは戻らない。失われた命は還らない。故国を追われ、住めなくなった星を切なく想う、そんな未来にしたいのか、との問いかけがあるようにも感じるのです。

そしてこの本はまた、それでも物語を紡ぎ未来に繋いでいく、という意志と希望の物語でもあります。
その想いが最も大切な第三層であり"パイ"に包まれた中身。
きら星のように瞬く、暖かい灯です。

人々に口伝えで残されていたお話を、本にまとめて、遥かな未来へ想いを託す。
いつか、本を作った人が全て居なくなったとしても、遥か宇宙の果てまで届けられ、誰かの宝物になっていくならば。
作中話の登場人物たちも、本を作ったネコビトのキャサリンとイヌビトのレイノルドを始めとする編集部員たちも、きっといつまでも本と共に生き続けていくような気がします。

三浦しをんさんの小説『舟を編む』で、遊園地へデートに出かけた主人公が観覧車に乗りながら、辞書作りと料理人の仕事について
"少し寂しいけど静かに持続する"のが好きだという場面があります。
『さやかに星はきらめき』もきっと、形を変え、世代を超えても、静かに持続し、繋がっていくのでしょう。
リーリヤの言う、魔法の力のような祈りと願いに託して、過去の誰かの想いもいつか掬いながら。

絶えることなき望郷の想い、哀しい現実と地続きの"奇跡"、そして物語を未来に伝えるという希望、祈りと願い。
それらの想いをみな、パイのように一度に味わうことで、泣いたり笑ったり考え込んだり大忙しでしたが、読み終わった後に、深い満足のため息をついたのでした。

最後になりましたが、この素敵な、舟を導く星の光のような本を生み出して下さった村山早紀先生、世に出して下さった早川書房の皆様に心から感謝を捧げます。
辛くて目も耳も塞ぎたいことの多い世にあって、胸に暖かな灯をともし、遥かな未来への道しるべとなる本だと思います。
一人でも多くの方がこの本を読んで、沢山の想いを受け止めてほしいなぁ、と願いながら、発売の日を心待ちにしております。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?