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共通点探し

本を求めるきっかけ、本との出会い

先日、ものすごくご無沙汰していたアパレル店舗を経営する社長に呼ばれたので、ご挨拶がてら事務所にお邪魔させていただいた。私が2013年にデザイン事務所を独立したての頃、お仕事がなくて困っている私に何かと依頼してくださった方で、とてもお世話になっている。ECにいち早く取り組み大成功された方で私も非常に勉強させていただいた。

社長は、少し風変わりな方だ。そもそも事業を自らおこす方というのは、(私も含めて)だいたい風変わりな方が多いけれども、この方は特別面白い方だ。そして社長の愛すべきところは、「ちょっと変なことを言ってると思うけど・・・」と自分自身で非常にその事を気にしながらの、自己開示、そして情報発信。
でも、世間一般からすると「風変わり」と映るのかもしれないが、私にとっては全くそうではない。要は、「目に見えない世界」の存在や可能性を探求されている方なのだ。ピュアで行動力があり不思議なことが大好きだけど、しっかりと地に足をつけてお商売されている、という印象。だからこそ、信憑性があるのかもしれない。

社長のお話を聞いてからと言うもの、私もすっかり「目に見えない世界の可能性」について興味を持ってしまい、立て続けに書籍を購入した。

1. 熊楠の星の時間 中沢新一著書

2. 森のバロック 中沢新一著書

3. 南方熊楠 日本人の可能性の極限 唐澤太輔著書

4. 虫とゴリラ 養老孟司 山極寿一 著書

どれもこれも、南方熊楠関連の本。というか、南方熊楠に魅せられた人たち、または見えざる世界(心や魂)を探求する人たち、南方熊楠的な人たちの本だ。「虫とゴリラ」は、古来日本人が持っていたのに失われてしまったセンスについて問いかけるような書籍だ。

古本の持つ魅力

さて、本の内容については一旦横に置いておくとして、、、、。私は、これらの本をメルカリで購入した。たくさん本を読む私は、古本対しては全く抵抗がない。(古着に対しても抵抗がない方)何か作業をしながら読んだり、散歩に持ち出したり、電車移動中に読んだり、お風呂に持って入ったり、料理しながらキッチンで読んだり、とにかく「ながら読み」するので、すぐ汚したりボロボロにしてしまうし、行方不明になってしまう。なのでむしろ古本の方が良いのだ。
また古本の良さは、これだけではない。かつての持ち主の嗜好がわかる(付箋や線引き、メモ、また栞が挟まっているページ)のも楽しい。かつて古本屋で好きな詩人の詩集を手に取った時、押し花を本の間に見つけた時は興奮したものだ。

その点、メルカリは面白い。匿名性の高いメルカリではあるが、使い古した持ち物を見ると、その方の趣味や嗜好が非常に良く伝わってくる。むしろ、SNSの投稿なんかよりもよほど、その方のパーソナリティやプライベートが見える気がする。今回私が注目したのは、「虫とゴリラ」をお譲りいただいた方の持ち物だった。どうやら北海道の方らしかった。プロフィールは二行ほどの、ごく簡潔なものだった。

「新しいものを迎えるために、古いものを出品する。」

と言う一言だけ。でも、その方の持っていたものを見ていると、なんだか私と似ている。ああ、山が好きな人なんだな。アウトドアが好きなんだな。そんな共通点を見つけて、かつての持ち主について思いを馳せる時間がなんとなくとても素敵な時間のように感じる。そう、本の内容の素晴らしさもさることながら、その本を持っていた人のセンスも素晴らしい。また、中沢新一さんの本をお譲りいただいた方は、東洋思想についての書籍をたくさん持っている。禅や哲学、生と死について、魂の行方について、そういうことに興味を持っているのだろう。

そして見えざるものについて

こんなふうに、共通点を探すのが私は昔から得意かもしれない。共通点を探すのが得意ということは、違いを見つけるのも得意なのだと思う。でも、私は共通点の方に目を向けることの方が多い。基本的に、人の考えや意見について「否定」ができないのは、私が多様性を大切にする良くできた人間であるというわけではなく、単に、自分に似ているところを探して、そのことに萌えるタイプだからだろう。ただ、メンタルが弱っているときは、その特徴が悪く働くので、長所とも思っていない。冒頭の社長の話を聞いた時も、私は否定しなかった。そんな世界はない!と言ってしまっては、終わる。私は終わらせたくない。いや、あり得るかもしれない、という余白を残しておいた方が、人生は楽しいし、ロマンがある。そして、社長も共通項を大切にする人なのかも。

私の仕事では、「差別化」ということをよく意識するが、逆に共通項を見出して、そこからいろんな派生を意識した方が、物事がうまく運ぶことに最近気づいてきた。ものごとをカテゴリーで整理していくことは、合理的に何かを進める上でとても役立つとは思う。けれども、細分化しすぎたせいで行き詰まっている気がするので、単純化を図るべき時期が来たように思う。これは私の直感だけど、直感って案外信じられるものではないかな。

熊楠が研究していた「不思議」について。熊楠は、この世界に存在する数多の存在、事象について、線引きしなかった人物じゃないかと思う。夢や現実を行ったり来たりして、「やりあて」のようなことをやってのけたのも、ボーダーレスな人だったからじゃないかと。粘菌も、植物なのか動物なのか、生きているのか死んでいるのかわからない存在だ。熊楠が粘菌に夢中になったのも、おそらく世界の数多の存在にある共通項を探求していたからじゃないかな。

ストン、と腑に落ちた。

違いを探すより、同じを探す。


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