人間という生き物を頭から忘れるようにする

別に人間嫌いな訳じゃない、という記事を前に書いた。

その記事はこちら ↓↓↓


内向的でも外交的でもなく、
必要なときに、必要な人と、必要なことで、関わる
それが私の性分だ。

ただ、この何年間は敢えて『人と距離を置く』ように心掛けて生活してきた。


なぜ、人間を頭から忘れるようにする様になったのか?

煩わしいから。
その一言に尽きるのだが、超現実主義で見たもの、聞いたこと、知ったことを適当に出来ない性格、検証してしまう、分析してしまうクセが頭を使わせてしまう。


人が安易に吐く言葉や会話の意図や深層心理を考えて、要するに ”腹の底” が見えてしまう。

結局、長年の仕事柄や生活の問題、職業病のようなもので、そこに持って生まれた性分という『洞察力』とやらが原因。

それで沢山、助かった事も多かったけれど、殆どが『知らなきゃ良かったのに』ばかりの嫌な思いを散々してきた。


久しぶりに会話をすると、相手は私がどういう人間だったかを忘れていて、自分の都合の良いように ”わたし” という人間を勝手な解釈で一方的に言いたい放題喋って来る。
私は、フンフンと相槌を打って聞いて居るが、その人がどんな風に変わったのかをじーっと聞きながら考えている。

愛想よく、こちらが合わせて聞いていると、どんどんと喋る。
喋る側から、言わなくて良いこと、教えなくて良いこと、要するに『余計なこと』まで話す。
終いには、『久しぶりに話せて良かったでしょう?』と、私を慰めたのか、はたまた労ったかのような言い方をして、優越感に浸っている。


可笑しな事に連絡をしたのは私の方なのに、何故か聞き役で、ベラベラと自分の聞いて欲しい事や言いたいことを話しているのは自分の方だとは誰も気付かず、あくまでも『聞いてやってる』と勘違いをしている。


そんな後の解毒作業に疲れた

人の灰汁に触れると、心の中というか、頭の中を浄化するのに、一苦労。


だから、人間という生き物を頭から忘れるようにする
そう思った。


口はウソをいくらでもつく

口先三寸という言葉があるが、往々にして人がする会話は無責任な言葉が多い。
適当に、その場の気分で、思い付いたことを言って、災いの元になることなんか考えもせずに『他愛ないこと』と思ってしゃべる。

思ってもないクセに。
そういう雰囲気だったから。
適当に合わせただけ。

よくあることだが、『優しい振り』や『過去のこと』で吐いたセリフはウソばかりで、見抜かれないと思い込んでいるから吐くのだ。


一番イヤだ、許せないと思うことは『死人に口なし』を良いことに吐いてくること

亡くなった人の思い出話で起きる ”正に死人に口なし” をまざまざと話される経験を何度、幾人からされただろう。

あの世からじゃ言い返せないのを良いことに、都合良くはなしを書き換えすり替え、歪曲する。

しゃべる本人は悪びれもなく、自覚もなく、まったく言葉に注意をしない。
聞くこちらは、亡くなった人から聞いていた内容もあれば聞いてなかった内容もあって、『本当なの?』とも確かめる事すら出来ず、妙だ?と感じたり、それは辻褄が合わないと思っても、今更…感が否めずに、嫌気が差すだけでしかない。


こういうの結構、多い。

まあ生きてる人間同士の噂話でもあることだが、生きてる人間については、万が一確かめられたら?という警戒心が多少あるから、気を付けながら喋るのだが、死人は別だ。

だから余計に始末が悪い。


本人が居ても同じ態度、同じ話、出来るのか?

そう思うことばかりだ。

ネットやSNSの誹謗中傷問題も同じ。
匿名だから何を言ってもいいではない。

死人に対してもそうだ。


そんなこんなで、人間という生き物を頭から忘れるようにする、と思った。
出来ることなら、その記憶に残った部分のキャッシュを消してしまいたい。
HDDにだけ保存しておいて、問題が起きたときに引っ張り出してくるくらいで。

だけど本音では、アンインストール出来たら良いのにと思う。

iMacのタイムマシーンを活用すれば、どれだけ気が楽で、どれだけ毎日の思考に役立つだろう。
そう感じる うんざりする造語の『コロナ禍』の今日この頃だ。

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