天井を向いてたら、何にもできない

6月はずっと具合が悪くて寝込んでいる。

首(脛椎)と背中(肩甲骨のとこ)が痛くて痛くて、起き上がってられない。
冷やすと多少楽になるから、そこにアイスノンを宛がって、30度くらい傾斜で寝たきり。

やりたいことが沢山あるのに、この体制で寝てたら手元の作業が出来ない。

編み機で作りたい作品があっても、アイデアが浮かんでも、座らなければ出来ず、だったら手編みで…と思ってもそれも出来ず、テレビすら見れない。


要は背中にアイスノンを宛がっていないといけないのと、横向きの姿勢が辛く、仰向けでしか居られない。

これじゃ、ベッドの上でも出来ることをいくら考え付いても態勢が作れないから何も出来ない。

それが寝たきりという姿勢

いま盛んに、Orihimeを使った遠隔カフェが取り上げられているが、私はカフェの店員がやりたい訳ではないから無理だ。

何故、働く=カフェ、外界と繋がる=店員という発想なのだろう?と不思議に思う。


「いらっしゃいませ~」
「ご注文は?」

オーダーやセールストークなら出来るという簡単なことだからなのか?


寝たきりの患者の中にも接客業が苦手な人も居るだろう。
元々クリエイティブ系の仕事をやって来た中途障害者だって居るだろう。

その人らが、寝たきりの難病患者になってしまったからといって、一律に接客業で社会と繋がり障害者も外界と繋がって働ける社会を一方的に ”与えられる” ことは果たして本当に障害者にとって望むQOLなのだろうか?と疑問に感じて来た。

そこへ現在、そのALSの人たちと同じ様に寝込む自分の姿があって再度考える。

ウェイトレスと言えば、単純労働で誰でも出来る職業なのはお決まり。


何故、寝たきりになったら、やりたいこと、やれることを諦めなければならないのか

それは物理的に無理だから。


そうだろうか?
環境さえ工夫して身の回りに置けるように何かしたら、何とかなるのではないだろうかと考える。


私のような謂わば ”職人仕事” をやろうとするには、自分の身体が物質に合わせなければ出来ないのは解る。

寝たきりで、陶芸をやろうにも、ろくろを回したり土を捏ね成形するのは不可能だ。

手先を使う仕事は、最低限でも起き上がれなければ無理ということになる。
せいぜいPC作業がやっとなのも解る。


だけど、接客業やウェイトレスというのは、あまりにも健常者が考えた一方的な『善かれ』の発想だと思う。


もっとベッド廻りを充実させる方法や障害者本人がやりたいと思うことが出来るように知恵を凝らす、真の障害者目線な支援方法を考える仲間が居たら良いのに…

あくまで健常者目線の 『宛がわれた狭い一方的な支援』そのお花畑で援助している気分に浸らないで欲しいと切実に思う。


SDGs
誰1人取り残さない社会の実現
とはいっても、こうして取り残されるわたしがここにいる。

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