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生存確認と終末の星、生きづらさの話

今日、初めて記事にコメントをもらった。
そこにはたった一言だけ「生きていますか?」とあった。
私の書いたとある記事を見て、気にかけてくださったのだという。
初めてもらったコメントが生存確認というのがなんとも私らしく、少し笑ってしまった。
生きているよ。ありがとう」という気持ちを込めてスキを押し、コメントを返信したところで、ふと、なんだか終末を迎えた星で、互いに交信しているみたいだと思った。

私が「終末の星」と言われて思い浮かべるのは、sasakure.UK氏の『*ハロー、プラネット。』のMVである。
簡単に説明すると、そこはおそらく星全体の気候がおかしくなっていて、雨が降り続けているような場所があったかと思えば、反対に日照り続きの場所があったりする――そんな星だ。

私にコメントをくれた方は、ある種の生きづらさを抱えているように見受けられた。
私はその方と自分に、『*ハロー、プラネット。』の星を重ねたのだ。
雨続きには雨続きの苦しみがあり、日照り続きには日照り続きの苦しみがある
私とその方の生きづらさはきっと違うものだが、それでも、交信でわずかに心が軽くなる。少なくとも、私は。
改めてその方に感謝をしたい。

さて、ここからは私のケースについてのみの話になるのだが、生まれついた星の環境をガラリと良い方向に変えるということがどれだけ難しいかは、もうこの地球を見れば一目瞭然だろう。
『*ハロー、プラネット。』のMVでも、変えがたい星の環境に耐えるためにシェルターを作り、なんとか生き延びようとした痕跡がうかがえる。
生まれついたこの身体や性格は、きっともうよほどの革新がない限り、大きく良い方向には変わらない
だから私も、地道にシェルターを作り、耐えるしかないのだ。
趣味を作り、薬を飲み、人に頼って、自分を守る
そうしてなんとか、生存確認に「生きているよ。ありがとう」と返せるように、のらりくらりと生きていくのだろう。

最後に、ここまで読んでくださったあなたに感謝を。
あなたにこの文章が届いたことが、とても嬉しいです。

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