見出し画像

yoshieのプロフィール

はじめまして。

カラーデザイナー歴30年のyoshieです。
色使い一つで印象が変わり、売れる商品へ導くサポートをしています。
大病(現在進行形)したからこそ伝えたい。
病気があっても活動できること、色が心の平穏や安定につながることを。

カラーデザイナーへの道のり

★2つの挫折

短大の服装科を卒業後、ファッションデザイナーを志しましたが
どこからも採用がもらえず就活で挫折。
仕方なく、生命保険会社に入社。
裁判所などへの保険営業を行うも
無形商品の販売に苦戦し、またまた挫折。

★3つ目の挫折から色の世界へ

やっぱり、デザイン関係の仕事がしたい!と
転職活動開始。
2ヶ月の活動が身を結び小さなデザイン事務所に採用となりました。
なぜか入社1日目から大手印刷会社に派遣され、デザイン事務所で働くことなく念願だった「ものづくり」の会社で働けることに!

だけど。すぐに試練はやってきた。

大手印刷会社で
ある日、使いかけのポスターカラー10色を混ぜて色見本通りの色を作れと言われる。
当時、小学生の図工レベルの知識しかない私には混ぜても混ぜても見本通りの色を作ることができず、悔しさを経験。

さらに。
美大卒の女性デザイナーが入社すると、今まで私にデザインのアレコレを教えてくれていた、ベテランデザイナーたちが、こぞって彼女にゾッコンとなり、私はお茶汲みに転落。

短卒の私は美大卒に敵わないんだと、また挫折を味わう。
悔しくて、悔しくて
挫折している場合ではないと、仕事終わりカラースクールへ通い色彩の
勉強を開始しました。21歳でした。

それまで貯めた貯金、50万円を投入!
(今から32年前)

★念願のカラーデザイナーになった

大手印刷会社で働きながら、こっそり2回目の転職活動。
小さな会社から大きな会社まで、もの作りができる場所を手当たり次第履歴書提出。
トータルで100通くらいは書いたでしょうか。

そんな中、
欠かさず読んでいた「とらばーゆ」に「カラーデザイナー募集」を発見。
採用2人に対して応募者は100人!
面接に行くと、キャリアを積んだデザイナー達がわんさか来ていた。
なんのキャリアもない私は、普通に考えると無理ですよね。

キャリアのない私ができることは「目立つこと」
いっぱい語り、色彩のスクールで作ったA2サイズの大きな卒業制作Aを抱えて臨み、面接官の印象に残すことを意識した結果・・・

見事に採用になりました!
2/100 人のうちの「ひとり」になれたのです。

★カラーデザイナーとして

ようやく、やりたい仕事を手に入れたのは
24歳です。
あれから30年。

主に住宅など建築物に使われる外壁材の意匠設計やカラー設計を担当。
採用になったデザインは、今も街中で見かけると「こども」を見つけたような嬉しい気持ちになります。
もしかしたら、あなたのお家の外壁材は私のデザインかもしれませんよ。

他には長野オリンピックの選手村など大きな色彩計画に携わったり、
社内外の研修で色彩教育の講師もしてきました。
まさに色づくめの30年。

ありがたい限りです

この30年の間に
結婚〜出産〜離婚〜心臓のオペを経過しました。

★フリーランスへ

プライベートでも色づくめのわたし。
クリスタルガラスとエポキシ樹脂粘土で作成する
グルーデコのアクセサリーに魅せられ、
休みの日は作品を作るように。


何が面白いって、キラキラを見るとテンションが上がるのです。
樹脂粘土は混ぜ合わせることで、自分だけの色が作れて、オリジナリティが上がるところが、
本当に楽しくてたまりません。

いつか誰かに教えられたらいいなと
認定講師を取得。

今後はグルーデコ講師として活動しながら、
ハンドメイド作家さんに向けた
色彩講座をスタートします。

色を選択する工程はどんなハンドメイドの世界でも必ずあること。
どの色を選ぶか、悩む作家さんが多いのではないのでしょうか。

色の選び方で印象が大きく変わり、商品として販売されている方にとっては
売り上げに大きく関わってきます。

いつも同じような色の作品ばかりと色選びに
悩んだり、いまの作品をさらにブラッシュアップ
させたい作家さんのサポートをしていきます。

ハンドメイド作家さんが、今よりもっとハッピーになれるお手伝いができたらいいな。

★もう一つの思い

フリーランスとして活動していくにあたり、
もう一つの思いがあります。

10万人に数人と言われる病を持っています。
国から指定されている難病です。

2018年に血液難病「再生不良性貧血」という
血液が作れなくなる病を発症。
治療のため無菌室も経験しました。
トータル2ヶ月以上に及ぶ入院は孤独との闘いです。
はっきり言って、辛く苦しかった。

何より自宅に一人置いている息子が気がかりで仕方なくて。大学1年生と言えばもう大人ですよね。
それでも。
親としては心配でたまりませんでした。

でも、そのおかげで同病の方との交流ができ
「生きる」ことを
きちんと考えるようになれました。

いい先生に恵まれ、治療が奏効して日常生活には
問題なくなりましたが、
さらに、別の血液難病「発作性夜間ヘモグロビン尿症」という、
作った血液が溶けていく病を発症しています。
40万人のわが街で患者は片手もいません。

進行性なので、近い将来また治療が必要になる
可能性はありますが、
心強い主治医が2人もいるので安心しています。

→2023年3月から8週間に1度の点滴治療を開始。
効果不十分ではありますか、問題なく日常生活を送っています。

医学の進歩が目覚ましく、わたしの病は死に直結する病気ではなくなりました。先生方の努力には頭が下がります。ありがとう!

病気になると、大病の場合は特に気持ちが落ち込み、仕事を辞めてしまう人が多くいます。
そんな人たちにも、色で寄り添い、色で仕事ができるという「希望」を伝えたい。
それが今の私にできること。

私がやるべき使命だと思っています。

みなさん。
どうぞよろしくお願いします。
一緒に頑張りましょう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?