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同じ服と髪型で個性を出すことの難しさ

経団連側から一括採用の就活ルールを廃止しようという日が、こんなにも早く来るとは正直思わなかった。

ずっとずっと疑問に感じていた就活というルール。私はリクルートスーツを買ったことがない。理由は簡単である、似合わないからだ。黒でぴしっとしたあの形、低身長で華奢とは言えない私にはコンプレックスを露呈させる罰ゲームの服にしか感じられなかった。だから、チャコールグレーのスーツを着た。スカートはマーメイドライン、裾のところがちょっとだけ、ひらっとなっている。

「個性を感じさせる一言を」「あなたらしさを表現」なんてことをESでは求められるのに、そのままのテンションで面接に行くとたいてい落ちる。「個性」だとかいうけど、「飾らないあなたのままで大丈夫」だなんてことを求めている企業はいない。

「業界はどこを受けるの?」友人に聞くと、友人の普段の姿からは想像もできないような業界の名前が伺えるのも違和感を覚えた。当時から「好きなことができる環境」を求めていた私はというと、特に強いこだわりもなかった。いや、正しく言うと出版業界などの選考を早々に落ちてしまい、それ以降は幅広く受けざる負えなかったのかもしれない。

でも、就活の時期のことは、思い出すとめまいがするくらい、あまり楽しくない日々であった。ノートに描かれた落書き、会社分析のノートを見ると詳細なことは覚えていなくとも、なんとなく苦しくなる。就活生を狙った投資話にも、騙されそうになったりなんかした。就活塾へ入ることも進められた。でも、ビジョンを話すとあまりにも特殊だったため、向こうから断られたなんてこともあった。

大げさかもしれないけど、右にならうことが正とされる社会を目の当たりにして、「これから生きていけるのかな」と不安を覚えた。

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あれから4年が経ち、そうぞうもできないような社会が広がっている。当時いわゆる意識低い系だった私には想像もできない、Twitter越しでのインターンや採用の募集、言葉通りの「とりあえず会いに行く」ができる環境。

4年前の私だったら、「え?それ大丈夫なの?騙されてない?」と疑ってかかっていたかもしれない。でも、今の大学3年生、4年生は当たり前のようにそんなことをしている。

今回の経団連会長の発言は、はっきり言って目新しいものではない。もうずいぶん前から、そんな形を取っている企業なんてある。だから困ることはなにもない。強いて言うなら、毎年変わる就活ルールのあり方に大学の就職課の年間プランニングが崩されるだけだ。でも、変更ではなく廃止なら、大学が過剰に就職支援する必要もなくなる。

2015卒の私は本来なら今年で社会人4年目。最初の会社で務めたままだったら、なにかしらの役職について後輩に指導していたかもしれない。でも、私は2015年4月当時の私が知らなかったフリーランスという生き方をしている。

フリーランスになってから感じるのは、「個性」や「強み」をアピールするのに大切なのは自分自身が自分を言語化できるかということだ。恐縮する必要なんてない。自分で「これが得意」「これが好き」「これなら任せて」と言って、実際にパフォーマンスし評価してもらえばいい。そこに履歴書などは必要ない。現に私の本名も学歴も知らないパートナーさんは大勢いる。

就職活動の時の苦戦は、自分の人生を振り返った時にほんの一瞬でしかない。だから、もしも今「就職活動」に心を病んでいる人がいるのなら、それだけが正ではないということ、ルールなんてなかったらどうやって生きていきたいか考えてみたらいいよって言いたい。きっとそれが当たり前になる世の中はもうすぐだから。

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