あおいろ

文章と写真を勉強中です。Classic Pooh と紅茶と苔がだいすき。 日々学んだり…

あおいろ

文章と写真を勉強中です。Classic Pooh と紅茶と苔がだいすき。 日々学んだり考えたことを書いています。

マガジン

  • たびしゃぶ交換日記

    • 36本

    "旅と写真と文章と"のメンバーで、日常の気になることやみんなに聞きたいことをゆるりと綴っていく、たびしゃぶの交換日記。

最近の記事

あなたにできることが、私にはとても難しくて

相も変わらず、仕事のことで悩んでいる。 働くということ、それは例えば、四角い箱にはみ出さずに入りなさい、と言われているようで。 一生懸命に箱に体を合わせようとすればするほど、ああ、指先が出てしまって、それを注意されて、より一層がんばって体を縮めようとすると、かえって腕とか足とかが、よりいっそうはみ出してしまって。 どうして、周りの人はみんな、上手に箱に入れるのだろう。 どうして、ほかの人はみんな、「まっとう」に見えるのだろう。 自分にとっては、無理な体勢にならないと、

    • 旅に出るときの乗りものは

      暗い夜の海に、大型のフェリーが一隻浮かんでいる。 その中の2等部屋に自分たちはいる、らしい。薄い毛布が配られ、限られたスペースには、決して少なくない人数がひっそりと乗っている。 周りの乗客の気配を含んだ静けさは、その質量のまま緊張感に置き換わって、無意識のうちに息を殺してしまう。気がつけば、体も少しこわばっている。 船のつくり自体はある程度しっかりしているらしいので、天地がひっくり返るような揺れはない。「安全な航海」ができればよいなら、このまま我慢を続けることもできるだろ

      • 未来を夢見る人との境界線

        将来に希望を持つこと。大きな理想を抱かずに「分相応」に生活し、「ほどよく」あきらめること。その境目は、どこで生まれたのだろう。 最近、新卒の新入社員さんが、同じチームに配属された。 今までも、同じ部署に新卒社員を受け入れたことはある。だけど今回は、自分でもびっくりするほどに、とても圧倒されてしまった。 このご時世、まだオンラインでしか会ったことがない。それでも。 配属されてまもなく、部署の全員が出席する打ち合わせで、自己紹介をしてもらう機会があった。 名前、出身地から始

        • 矛盾を生きるわたし(たち)

          いつだって気持ちは矛盾を孕んでいる。 「わかりたい」けど「わからない」余白がないとつまらないし、「つながりたい」けど「開放されている」状態がないと息が詰まる。 「手に入れたい」と願ったものも、一度手に入れると「案外、そんなにいいものでもないな」と思うこともあるし、でも「やっぱりいらなーい」と手放してから、「あれ、、よく考えると惜しかった」と思うかも。 今の自分と過去の自分、未来の自分の価値観は少なからず違うものだろう。人との関係、天気、体調、みんな少しずつ変わってゆく。

        あなたにできることが、私にはとても難しくて

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        • たびしゃぶ交換日記
          36本

        記事

          人生のおやすみ期間が必要なとき

          なんとなく、状況はなかなかに芳しくないぞ、とは思っていたのです。 やっぱり正常な状態ではないかも、と気付いたのは、何度目かに「あぁ〜もう無理かも」と思い、言葉として口から出、終いにその気力もなくなり、代わりに涙が静かにさらさらと両目から流れ出したあとでした。 人間とはわりと簡単に、そして明確に、「心が折れる」ことがあるものだと、知りました。 人はコミュニケーションの生き物で、仕事でもなんでも、誰かとの関わりなしには生きられなくて、だから人と接するときには、相手を尊重するこ

          人生のおやすみ期間が必要なとき

          白い街、想えば

          雪に覆われた街のはじっこが、しろい空と混ざりあっている。 陽が降りる時間帯になると、その曖昧な境目から、白かった世界がほのほのとオレンジ色に染まってゆく。 雪のある、冬の景色が好きだ。 朝早く外に出て、新雪に最初につける足あと。 その上に雪が降り、残した痕跡はおぼろげになってゆく。 他者や、自分の存在が隠されてゆくような、心地よい心許なさ。 夜、月や街灯の光がしろい街に反射して、きんと冷たい世界にやんわりと、冬のあたたかみが漂う。 冬の夜、カーテンを少し開けて、ほの明る

          白い街、想えば

          思考の断片はどこに消える

          思考している気になって、全然何も考えていない。 断片的にはなにか考えることはあるけれど、まとまった、ひとつのものごとについて考えることができないでいる。集中力のなさか、あるいは。 夜、眠る前の少し朦朧とした意識の中で出てくることばや考えのほうが、表現上のかざりや自分という世間の目を意識していないぶん、澄んでいるのかもしれません。 考えすぎは、思いつめる、という行為に転化してしまいがちなので、好奇心をもって前向きに考えられることのみ触れる期間、というのも必要、ということか。

          思考の断片はどこに消える

          内省よしあし

          「家にいる時間が長いと、どうしても思考が内向きになります」 なんとなく出た言葉だったけど、それはすこし切実な響きも含んでいたかもしれない。 時間があるというのは善し悪しあって、よい面から見れば、まとまった時間で普段考えられないことについて考えを深めることができる。一方、よくない面もたしかにあって、それは自分の声が、とりわけ自分を責める声が、聞こえすぎること。 ひとを追い詰めるのは、結局は自分自身の声かもしれない。 ひとつの失敗とか、人に言われたこととか、そんな小さなことが

          内省よしあし

          どうやって伝えればよいのでしょうか

          窓を打つ雨音が激しい。かと思えば、ふいに白いひかりが差してくる。そんな気候の不安定な日には、例にもれず、なんとなくどんよりとした気分になる。 天気と心は少なからぬ割合でつながっているらしい。今日もそんな日。 ありがたいことに、やるべき仕事もそこまで多くなく、さらに在宅勤務だったので、思考はどうしても内に向いていく。 自分はどうしてこうもコミュニケーションがへたなのだろう・・・というのが、いつのまにか今日のテーマになっていた。 コミュニケーション、相手との意思疎通がとれるか

          どうやって伝えればよいのでしょうか

          「なにもしない」罪悪感と贅沢と

          家にいる時間が長くなって、「なにもしない」でいる時間がふえた。 ここでいう「なにもしない」とは、主に娯楽にふけること。つまり漫画を読んだり、好きな動画を見たり、目的もなくネットサーフィンをしたり、といった行為。 無為に過ごす、とでも言い換えられるような、いわゆる生産性のない時間。 誰かと会う約束が減り、自分の裁量で自由に過ごせる時間が多くなった。その中でとくに生産的な活動もせず、娯楽に身を浸しているのには、どこか後ろめたさや罪悪感を覚えることがある。 よく聞かれる、「あな

          「なにもしない」罪悪感と贅沢と

          雨の日はかえりみる

          雨に降りこめられた日の室内というのはどこか孤独で、それが良いふうに作用するときもあれば、そうでないときもある。 とりわけ一人で過ごしているときにその効果は顕著で、前者の場合は読書や書き物が捗り、後者の場合は、自分の存在意義みたいな、考えても仕方のないような抽象的な概念に考えを巡らせてしまう。 今日の雨はなんだか、陰鬱とした気分を運んできた。 それは今日が連休最終日ということ、それなのに少し体調を崩したことと大いに関係がある。でも。 いい大人になっても、意味のないふりかえり

          雨の日はかえりみる

          こもったものの、ときほぐしかた

          家にこもって仕事ばかりしていると、体の緊張も取れないでしょう。 ということで、最近は周囲の人もほぼみんな在宅勤務になったこともあり、オンラインで友達に頭のマッサージ方法を教えてもらった。 意識してさわってみると、案外と頭(頭皮?)も凝っていて、知らない間に力を入れてしまっていることがわかる。 最近の出来事や雑談を交えながら頭を揉んで、最後にはくしゃくしゃになった髪の毛のまま会話を続けていたら、いろんな緊張がほどけていったような気がした。 自分にできることを持ち寄って、遠隔

          こもったものの、ときほぐしかた

          せいかつを再構成するとき

          たぶん誰しもがそうだと思うけれど、家にいる時間がこれまでよりも長くなった。 今はどう時間を使っていくか、改めて考える内省の時期に充てよう。これから仕事をどうするか、生活をどうするか。考えるべきことはたくさんある。 では、どうやって、と思案するとき、ちょっと古めの本を読んでみる。 人それぞれ好みがあるだろうけれど、私は新刊よりも、何十年か前に書かれたような本の方が好きだ。 理由はいくつかあって、美しい日本語の勉強になりそうだからとか、なんとなくレトロな雰囲気が好きだとか、いろ

          せいかつを再構成するとき

          ひと息ついて、言葉を旅する

          落ち込んだとき、暗いニュースばかりで塞いだ気持ちになったとき、デジタルな情報やテレビから離れて、本棚に救いを求めてみる。 普段仕事などで忙しくしていると、落ち着いて本を読む時間もとれないことが多い。とくに疲れたときは、本よりもなんとなく慰めに、スマホに手が伸びてしまうこともままある。 情報の洪水に晒されてより疲れるとわかっているのだけれど、なんだか情報に接していないと落ち着かない、一種中毒のような。 でも暗いニュースの多いいま、あえて情報を遮断する必要性も感じている。全て

          ひと息ついて、言葉を旅する

          働くとは、なんだろう

          仕事に意義を求めるからいけないのかもしれない。 日々淡々と仕事をこなして、それなりのお給料をもらって、大きなやりがいは特に感じないけれど、でも仕事を離れたところで趣味の時間をもって。 そういう生活ができれば、生活はきっとうまくいく、気がする。親も「やっと落ち着いてくれた!」と喜ぶだろうし、生活の基盤を作る、という意味でも、いろんなことがやりやすくなるだろう。 仕事とは生活と地続きで、変化や冒険を求めていてはいつまでも安住できないかもしれない。そう思いつつ。 内向きに自分の

          働くとは、なんだろう

          2020年。目標は、ゆるっと持つ

          たのしいお正月休みが終わり、呆けたような気持ちで一週間がはじまった。新年の目標ややりたいこと、やらないこと、いろんな人の抱負がTLに流れてきて、さて、自分は。とすこし考えさせられる。 あたらしい一年間。なんでもできそうで、それでもすぐに過ぎ去ってしまうようにも思える時間の単位。 ちょっと前に終わってしまった昨年は短いようでいろんなことがあり、転職したり、新しく知り合った人と旅行に行ったり、大事な人がいなくなったりした。 今年はなにをしたいだろう。長めのお休みですっかり新品

          2020年。目標は、ゆるっと持つ