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心を動かすための体操として



なにか機会が与えられたとき、すぐにそれをつかまなきゃにげちゃうよ、ということ。まがりなりにも何十年か生きていれば、今までの経験でいやというほどわかっているはずなのです。

だけど、それと同時に、経験の中には「つかんでみたけれど、やっぱりなんかちがった」ものも含まれていて。そういったものが、とっさの判断を鈍らせる。

ようは、なにかが巡ってきたときに、それが本当に自分に必要なのか?意図する方向性と合っているか?ということを直感的に判断する瞬発力、決断力が必要なのだと思う。
(論理を軽視するわけではないけれど、自分はかなり直感型なので、論理組み立ての筋立てよりも「直感の精度」の方が大事。)

機会に手を伸ばしたとき、伸ばさなかったとき。それぞれの決断の結果、後悔したか?その決断の結果、すっきりと晴れやかな気持ちになったか?ということを、毎回自分に問いかけることで、あとから振り返っても望ましいと思える判断ができるようになるかな。

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ここのところ、大きなものでは転職も含めて、いろんな決断の機会があった。
そのたびにうんうんと考えていたのだけれど、意外と、じぶんの心の声というのは、きれいに言語化されたかたちにはなっていない。

そんな、なにか自分の方向性を決めるべきときに、周りの人や世間の声、世の中的に望ましいとされている方向性なんかについての「正しそうで論理も通っていそうな話」を耳に入れてしまうと、「自分の決断」ができなくなる。

たまには、自分の中に閉じこもって、自分自身の「言葉になっていないなにか」にそっと寄り添ってみてもいいんじゃないか。
最近は、今までひろってこなかった言葉たちをあつめながら、そんなことばかり考えています。


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