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不登校と中学受験①学校へ行かないと勉強はなかなかしない

小学4年生より学校に行っていない長女は、春から中学生になります。

地元の中学校ではなく、家からは通えない場所の女子中学校へ。
6年生の1年間、はじめての受験勉強を体験し、まもなく親元を離れて新しい生活をすることになりますが、中学校からの生活はどうなるのか、そして、これから通うことができるのか誰も分からない未知の世界です。

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不登校になった4年生のはじめのころ、成績はクラスの中でも良い方で公文にも通っていたこともあり、私も娘も、少しくらいやらなくても大丈夫だろうという感覚でした。

娘は、学校での勉強は分かってることをゆっくりやるからつまらないと言うことが多かったのですが、不登校になる直前には、都道府県は覚えるのが無理と泣いていたり、良い成績を取り続けていたことがプレッシャーになり、たまたま都道府県の暗記は苦手でできなく挫折を味わったのと、他にもまだ私も知れていないかもしれないさまざまな要因が重なり、学校に行かないという行動に現れたのかなと思います。

少しくらいは大丈夫と思っていた勉強も、1ヶ月、2ヶ月と月日が経つにつれ、先生から渡されるプリントを見ると、どの教科もどんどん進んでいることが明らかでした。

どの時間にも学校には行きたくないとのことだったので、私がまとめてもらいに行ったり、先生がプリントを郵便受けに入れてくれていました。先生が忙しい中届けてくれてるしと、もらったプリントも、少しでもやって持っていければいいなぁと思っていました。学級だよりや毎日の計算問題、漢字の小テストなど、クラスの他のみんなは本当に頑張ってるのに、うちはなにもしてない...と感じて、『みんな毎日頑張ってるんだよ。』『ちょっとでもやれるところやろう。』と声をかけました。

夏休み、冬休みには宿題が出ます。長女はすぐに終わらせる派、次女はギリギリに持ち越す派のようで、ペースはバラバラでしたが、それぞれが休み期間内に宿題を終わらせることができました。

日々の勉強は出来ていなくても、この時点での宿題が出来るなら大丈夫か、と、私もだいぶ目を瞑りながら、勉強をしたほうがいいのにという気持ちも気にしないように過ごすようになってきました。

5年生になって、やはり最初は頑張ろうと娘も思うのでしょう。新しいノートに名前を書いて、新しくクラス替えをして担任の先生も確認して、5年生の教科書を持って帰ってきた始業式。帰ってきた後には、学校へ通っていたときのように元気に友達と遊ぶ約束をしたり、教科書に名前も書いたりしていました。なんとか4月の一週間は行ったけど、ノートは1枚目を使ったっきり、それ以降はまた行かなくなりました。『あぁーノートが勿体無い。』心のつぶやきが、たまに口に出ていました。

地理や歴史、小数点の割り算、面積など、習っていないと分からない問題もどんどん出てきました。ごくたまに、もらったプリントに目を通す時がありましたが、習ってないから出来ない、と言って手をつけることはありませんでした。

こんな調子で4年生から6年生まで、ほとんど勉強をしてこなかった娘ですが、本人は特に心配そうな様子もなく、YouTubeを見る日々が続いていました。

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ある日、たまたま私の友人のお子さんが、娘と推しのアイドルが一緒だと言うことが発覚しました。その子と、ライブへ一緒に行くことになり、私は娘に連れられ推し活に参戦しました。偶然、一緒に行った一つ上の友人の子と、その友達は、中学受験をし合格をしたということで全然今までには知らなかった話を聞くことができました。

この時には、【中学受験というそんな世界もあるんだ】と他人事のように聞いていました。

その後、推し活を通して娘と友達は連絡を取り合うようになり、中学校での部活や先輩の話、行事のことなど聞いてく中で、ここの中学校に行ってみたいのかもしれない、、と沸き起こってきたのでしょう。

それを確認できたのは、小6の6月上旬でした。

ま、間に合うのか?!

不登校娘、中学受験への挑戦のはじまりでした。

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