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こんばんは フミオです。

ちょっと書きたりないかな?と思い、今日も親の介護をnoteさせて頂きます。これって、答えてのような内容ではないです。ただ、親の介護って、
介護しているときより、介護になる前にできることがある気がするので。

■何をすればよかったのか?
 父は、倒れた日から1週間後にそのまま亡くなりました。
入院してICUに入り、ただ酸素とモニターが身体に着いた後は時間で看護師さんが様子とケアに来てくれるだけでした。唯一できたことは、看護師さんがケアをしてくれるとき、一緒にケアを仕事のようにできただけした。

虚しかったですね。正直。

そして、何をすればよかったか?は、後に気づかされました。何がきっかであったかは思い出せないです。それは、既に、倒れる前に先輩から教えてもらっていたことです。

私が自宅に引っ越す際に、先輩が引っ越しを手伝ってくれ一緒に軽トラで荷物を運んでくれ、自宅に着く直前に、「親を旅行に連れていったことがあって、その時のことを折に触れて話してくれる。お前も旅行行ったがいいぞ」と話してもらったこエピソードを思い出した時。

■母が孫と過ごす光景
 父が他界した後に、結婚して孫ができた時に母の変化ですね。孫と一緒に手をつないで買い物にいったり、一緒にお菓子を創ったりと兎に角、手をかけている姿をみた光景。

この時に、孫を父に見せてあげたかったかった!と思った瞬間です。
父は、姉弟が7人いたいました。しかし、父だけ親戚に預けらて家族と一緒に生活できなかったことを父の弟(叔父)から聴いていて複雑な気持ちでいることを知っていました。

だから、父から見た自分の家族という体験ができらたよかったかも・・・これは、喜んだろうな~と今でも確信しています。

■今日のnote
 意外と当たり前の日常で、親にしておいた方がいいと、誰かに「やっておけばいい」ことは気づかされいたりすることです。しっかり意識して聴いていて、「いつかやろう」と思った記憶や意識はあるんですよね。

ただ、いつでもできると思っているわけじゃないけれど知らず知らず流してしまうこと。

もう一つ、親に兄弟がいるなら、自分の知らない親のことを聴いておくことですね。私の知っている親は、親でしかなく、親以外の姿に親の「私のしらない姿」を知ると人として距離が違う気がするですよね。

親として姿と、親以外としての姿があるよね。


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