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転んでジャーナリングしたことを書いてみた

先日駅で派手に転びまして…
いろんな感情が一気に来たような、
どことなく冷静だったような
不思議な気持ちでした。
でもめっちゃ痛かった。
そんなときこそ!と思って乗った電車でジャーナリング(ノートがないのでスマホ)で書いてみたので載せてみます。


あー、この気持ちをジャーナリングしたい。
なんで急いだんだろう
なんで間に合うと思ったんだろう
転んだらやだなって思ったら、ふわっとつまづいて(しかも点字ブロック)
自分の足がびっくりするくらい上がってなかったことにもびっくりしたし、
転ぶと思った瞬間、
スローモーションみたいだった。

大人が転ぶ音は思ったよりきっと大きくて、かわいくなくて。
音で言ったら「びたーん」みたいな音だったと思う。。。

恥ずかしいより痛いが勝って、
周りなんか見なくて、ただ急ぐ。。
うまくSuicaをタッチできなくて改札に引っかかったり、もう踏んだり蹴ったり。

挙句電車には間に合わなかった。

早く帰りたかったんだよね、そうなんだよね。
月曜日からしんどかったのですよ…
いろんなお客様いて、件数も多くて、月末に向かってて。
早く帰ってゆっくりしたい、と思ったんだけど。

自分の脚力のなさにびっくりいたしました。
あー情けない。

ここでもう走らないと決めるのか、
走れるくらいの脚力になろうと思うのか

私の場合は、やっぱりあと2分であの位置では間に合わないよねってことを再確認したまでです。
心にはゆとりをいつも持っていたよなってこと。

あー痛ーい😖


帰って娘たちに転んだ、痛いー!って騒いだら
痛さと恥ずかしさが混ざって湧いてきました。

翌日のジャーナリングでも見事に引きずり(笑)
そもそも恥ずかしいってなんでだろう?
子供のころはあちこちで転んでたわけなのに、
いつから転ばなくなるんだろ?とか
大人は転ばないから恥ずかしい?
いや転ぶって恥ずかしいの?
恥ずかしいってなんなの‼︎
少数派(大人の大半は転ばないから)になると恥ずかしいのか?

みたいななんだかめちゃくちゃなジャーナリングが続いていて、今日木曜日。
ようやく落ち着いてきた気がします。笑

心の持っていきどころごなくて友人に報告してみたり(付き合ってくれた方々ありがとう)
大きなあざにびっくりしたり、変なところが痛くなったり、
転ぶって命に関わるな…と危機感を持ったり。

なかなかない経験だったので、学びは多かったように思います。

ここでじゃあ転ばない体を作ろう!と決意するのもいいと思うのですが、
私としては
「急がないでいこう」でした。
どこまでも自分に都合よく。

今週もあと1日というところまできました。
あと1日平和に終わりますように。

お読みいただきましてありがとうございます。

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