見出し画像

のんびりするとはどういうことか考えた話

4日間、北海道旅行を終えて昨日自宅へ帰ってきました。

茨城も暑いけど、北海道も今年は例年にない暑さとのこと。(それでも朝晩涼しかった)
あちこち行くというより、妹家族との時間を楽しみ、札幌周辺で過ごしました。

旅行中は家事はほとんどしない日が続き、すごく楽でしたが
どこか物足りない感じ。非日常を楽しむには旅行も慣れることが必要だなと思いました(普段旅行にほとんど行かないので)。
こんな生活が長くは続かないしな、帰ったら洗濯地獄だわ…と思ってはいましたが、
朝起きて、ゆっくりして、ちょっと眠くなったらまた寝られるみたいな生活は憧れでもありました。

のんびりするってどういうことだろう?

旅行中に、私にとってのんびりするってどういうことだろう?という疑問が湧いてきたので
帰ってきて、ジャーナリングしてみました。

私はダラダラとのんびりがごっちゃになってる気がするのです。
のんびりしたいというのは、時間に追われない生活をしたい、ということ。これは仕事を辞めれば叶いそうだけど、多分そうじゃない。
のんびりに憧れる反面、私のような者が時間を手に入れると単なるダラダラになってしまう。
のんびりは期間限定の方がうまく行くのではないかと思ったわけです。
メリハリってやつでしょうか。
あと、旅行先(ホテル)ではのんびりできたとしてもどこか慣れない空間は疲れてしまうのです。
非日常と思って楽しめればいいけど、それなら2泊くらいがベストなのかななんて思いました。
2泊でどこか部屋にこもって読書したり、手帳書いたり…みたいなのが私にとってはのんびりのいいところなのかもしれないです。(温泉があったらなおいい)

のんびりは意外と身近にある

そう考えると、日常でのんびりは程遠いと思っていたのだけど、
慣れた自宅で、慣れたものに囲まれてののんびりは極上なのでは、と思えたりします。
そして少しの時間でものんびりは可能なのではないかと思うわけです。

毎日はさすがに難しくても、
休日の朝とか夕方とか、なんにもない時間って存在するし、
洗濯機を回してる時間だけでもと決めて好きなことをするものいい。
結局は好きなことが程よくできる時間が必要ってこのなのかなーと(のんびりはどこへ…)。
何かに追われてばかりいると思っていたけど、
自分が自由になる時間を来週の手帳に記してみました。

ピンクのラインが自由になる時間

何もない時間は存在する

もちろんこのピンクのライン全部が全部何もない時間ってわけでもないし、通勤時間も含んでいます。
それも誰にも邪魔されない時間(もしくは予定の入ってない時間)ではあるわけです。
ぼーっとするもよし、読書するもよし。
ちなみに電車にの乗る時間くらいは、と思って「読書」と書いたけど、電車に乗ってる時間は10分ほど。最近読めてなかったので今週は読みたいなと思っています。

今のスタイルに合った「のんびりする」

朝ジャーナリングする時間は決まって、とれるようになったけど、手帳を書く時間が取れずにモヤモヤしていることもわかりました。
のんびりって言っても結局何かしているし、時間を決めてのんびりって、最初に言ってた「時間に追われない」こととは違うなとも思うのだけど、
今のスタイルに取り入れるのんびりはこういうことなのかもな、と思いました。
私の場合だと、自分の時間がないー!と一人吠えていたり、常に次のやることを考えている時間があるのだけど、それはそれでそういう時間と割り切り、そうではない時間を作ることが必要という結論になりました。
そして、その「そうではない時間」を自覚するというか、意識することが必要なのでしょうね。

まとめ

仕事でも家庭でも先の先まで読んで(しかも予定通りにならない)息切れしているような状況を勝手に作っていたけど、24時間そうである必要はなさそうです。
いろいろ巻きでやったとしても一向に自分の時間が増えないなら、あえて自分のペースでやった方が結果的に精神的にも時間的にも楽なのかもしれないですね。
数分短縮したところで、SNSを見てたら意味はないだろうし。
当初の「のんびりする」を考えた結果、なかなか面白いところに辿り着いたなと思いました。
長いと思っていた休暇も今日で終わり。
休暇中だからこんなことを思ったのかもしれないけど、明日からの日常でも忘れずに過ごそうと思います。

最後までお読みいただきましてありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?