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それでも人魚が食べられていない世界なら

なんとなく、回想シーンで過去にセイレーンと葉っぱ島民に何があったかがわかってきた。
物語の中で、人魚は食べられたものとして話は進んでいく。
しかし、人魚が食べられた確たる証拠はない。
セイレーンが島民を疑っているのは、うろこが落ちていたからという理由だけ。
島民が食べたと読者が思っているのも、家の中でちいかわが見つけたうろこと2葉が単三電池動力だという点からの推測に過ぎない。
しかし、人魚が食べられたように思い込ませるミスリードだったら。
やっぱり人魚が食べられてなかったとしたら。

事故で1葉の友人の2葉を殺してしまったセイレーン。
セイレーンにとっては人間がビーチバレーをしていてアリを踏んで殺してしまったのと同じ感覚。
気付いてすらいないかもしれない。
だけど、3匹の人魚のうち1匹がそれに気づいた。
悲しむ1葉に対して、自分が単三電池動力の陸上生活用パワードスーツの中に入る(または電動義足をつける)ことにより、2葉としてそばにいて1葉を慰めることに決めた。
という展開はどうだろうか。

本物の2葉は死んでしまったが、人魚がいわば2葉の人形として、1葉のそばにいる状態。
そして、セイレーンは倒れた2葉人形を見て「わかった」という流れ。
見かけなくなった人魚の1匹、お前はセイレーン自身が起こした事故の償いで島民のそばに寄り添っていたのか、と。

そこでセイレーンの不思議な歌の力により2葉とセイレーンが勘違いして食べた島民が蘇り、人魚は人形である必要がなくなりセイレーンの元に戻る。
人魚と1葉にも友情ができたのでときどき海に行ったり人魚が村にきたりして交流を続ける。

こういうハッピーエンドはないだろうか。
と、考えてしまう。

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