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クセモノと変態を愛でる

去年2018年から、人間関係が慌ただしい。
それは歓迎すべきことで、
とはいえ、予測もしていなかったこと。

はじめまして。
よろしくお願いいたします。

そういう機会が多く、
それまでのように、あの日のあのひとはお元気だろうか。
また戻れる日が来てくれれば。
などと、過去にすがる想いに縛られるヒマがない。

なんだか最近、冷たくて怖くて雑になったとも言われるが、
本来の僕はこの程度のものだったのだろう。

特別、自分を大切にしてくれもしない誰かすべての、
表情や言動に振り回されて、
自爆していただけだった。

よくわかったのは、
自分は社会不適合者であること。
これはこのご時世であれば、
恥じることでもないし、許される。

そもそも誰に自分を許される必要があるのか?

そうやって、少しばかり言葉をぶん投げてしまうのが、
最近の僕である。

わずかながら、10年以上もこんな腐れ外道を見捨てず、
友達でいてくれたひともいる。
とても大事なものだと感じる。

気付けば、どこかマジメで、
僕にマジメさを求めていたひとたちは、
すべて僕の元を去ってしまった。
彼らは僕に呆れたのだろうし、
僕も彼らに疲れてしまった。

クセモノと変態を愛でる。

どういう流れなのかわからないが、
いまいま、何をしても何を言っても、
いい意味で好意的に取られる。

自分はできるひとだ、などと、演じなくなり、
正直ベースでいられるようになったのかもしれない。

それは、38年間の中二病の終止符。

不惑。
四十にして惑わず。

きっとそういうことなんだろうな。
僕はしあわせなんだろうな。

令和で死のう。

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