勝手に編集 その6「”世界”を意識する」

いきなりだけど、会話の中で「人種が違う」とか、「生きている世界が違う」なんて言い方をすることがある。
この”世界”の違いは、物事を理解するひとつの基準になるんじゃないかと思う。

今生きているこの世界は”動物(神)の世界”と”人間の世界”にわかれていて、その違いは”理性”があるかどうかなんだけど、”人間の世界”はさらに”男の世界”や”女の世界”に分けれたりする。

少し経緯を挟むと、Twitter上で「勝手に編集」という、Web上のマンガ作品を自分が担当編集だったらどう編集するか?みたいなことをやっていて、その中でモノローグについて考えることがあった。

一般的に、モノローグの使用の多い作品は静的になり、少ない作品は動的になる。
絵で伝える表現であるマンガとしては、モノローグを減らして人物の行動や表情、セリフで物語を表現することが小説などの他の表現手法との差別化を図れるところだし、表現としての”価値”の一つだと思う。

モノローグについて色々考えてるときに、動物はモノローグがないと思うけど、ふと、子供ってモノローグが少ないだろうなあと思い至った。
思ったことすぐ口にするし、思ったように行動するし、理性的じゃなく野性的だよなあ、、大人(人間)より動物に近い?
世界は人間と動物で分かれているけど、その間には子供の世界があるってこと?みたいに。

今更だけど、この文章は哲学的なことを考察したいわけじゃなくて、物語の創作に役立つようなことを考えたくて書いている。

で、子供を描いている作品はモノローグが少ないかどうかを確認するために最初に浮かんだ作品は「よつばと!/あずまきよひこ」だった。
確認してみると、やはり初期に少しだけあったモノローグも、巻を追うごとに完全になくなっている。

キャラを子供っぽく描くためには、体のバランスや顔のパーツの位置や大きさで描き分けるけど、モノローグの量も違ってくるんだということを再認識した。

思えば、王道の少年漫画ジャンルに出てくる主人公はモノローグが少ない。主人公の動機や目的が原始的な欲求にもとづいていることが多いからなんだろう。

創作をする上で人物やシーンを描くときに、今どの世界を描いているのか?ということを意識すると軸がぶれずに描くことができるんじゃないかな。


Twitter上で「#勝手に編集」というハッシュタグでWeb上の作品を勝手に編集していく中で思ったことをnoteのコラムとしてたまにまとめていこうと思っています。
その他、編集を軸に色々つぶやきますので、良かったら僕のTwitterアカウントもチェックしてみてください!


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