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編集ちゃん その8「誤解と想像」

昨日ある作家がこう言っていた
「沖縄の人からはなかなかクリエイティブが生まれない。海を見ている以上に楽しいことがないからだ。」と。

沖縄出身の僕としては、正直「それはどうかな?」と思った。
そもそも沖縄に住んでいた時 僕は海にあまり行かなかったし、そんなに頻繁に海に遊びに行く人も周りにはいなかった。
沖縄出身のクリエイターですぐ頭に浮かんだのが、
安室奈美恵、Cocco、岡田あーみん、なかいま強、島袋光年、その他 沖縄出身のクリエイターは結構いる。

そういえば、昔ストリートダンスやっていた時期に、沖縄で地元のダンサーとストリートで練習した後にだべっていた時にこんなことを言っていた
「沖縄は上手いやつはいるけど、ダンサー人口が少ない」
その時は、そうなのかと思って聞いていたけど、今思うと、沖縄における表現者全体としても同じことがいえるのかもしれない。

話を戻すと、そもそもクリエイティブは正しいことを描くことが目的じゃない。正しさよりも楽しさが大事。
誤解を含めて作られる世界観が、作家の中で理屈だってさえいれば物語としては正解。
むしろ、事実や常識といった整合性ばかり追っていては、新しく独特な世界観ができるはずはない。
ということは、この作家の誤解や偏見を指摘する必要はない。

昔の少女漫画作品で外国を描いている作品群って、今読むと「本当のイギリス人ってそうじゃないよね、パリにそんなところない」とは思いつつも、そんなリアリティの粗は気にならないほど世界観があるし面白い。

作品を作る時は、取材して資料を集めて、細かい部分のリアリティも気にしながら世界観を構築していくんだけど、きっとそこは本質じゃない。

あと、ジブリの鈴木敏夫氏がこんなことを言っていたのを思い出した。
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「宮崎駿がある本を読む。で、話を聞くと面白いんだけど、実際にその本を読んでみるとそんなことどこにも書いていないの。つまりね、その本を読んで刺激を受けて、自分で想像する。そういうことが好きな人。だから天才」そして、自分のことをこう評した。「おれなんか、どっちかというと、読解の方が好きだからね。作家の素養がない」。
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整合性は作品の重要な要素だけど、その世界観が作家にとって正しく面白いことの方がずっと大事。
編集者にとっては、その誤解が本質的かどうかを見抜く目と、それを面白がれる共感力が必要。

誤解と想像は仲良しだよね、という話でした。

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