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まずはごあいさつがてら。

初めまして。
三重県・滋賀県でカポエイラをしているコミーダといいます。
今から約18年前にカポエイラを始めて、楽しくておもしろくてキャッキャキャッキャしていたら、いつの間にかなかなかの時が流れてました。いやあビックリです。

現在は滋賀県に拠点を置くカポエイラ団体に所属していますが、カポエイラを始めて2年半くらいは、団体には所属せずサークル活動のような形で練習をしていました。
まあ、基礎の基礎はそこで教わりましたね。
先生はというと、どこの団体にも所属していない流しのプレイヤーだったので、帯もなく指導資格もない人でした。(←正式なところから咎められるヤツ)
ですが体育の指導資格を持っている人だったので、動きの教え方はしっかりしていたように思います。ストレッチや準備運動なども。

また、ポルトガル語やカポエイラの歴史に関してはあまり詳しくなかった気がするけれど、カポエイラの音楽や楽器に関してはいろいろ教えてもらいました。
なので、動きだけでなく歌の練習や楽器の練習にもちゃんと取り組んでいたのですが、これは後々とても大きな貯金になりましたね。

因みにこの頃の練習仲間と今も同じ団体で練習していますが、当時一緒に自主練しまくったのも本当に良かったです。
当時は独身だったこともあり、多い時は週6、7くらいで練習してました。
何だったら1日に2回とか。いやあ、最高ですね。

さて。しがないカポエイラサークルで楽器練習をしようと思ったら、まず楽器の入手ルートにつまづく事になります。特にビリンバウ。
正式な団体に所属していたら、指導者に「ビリンバウ買いたいです」と伝えれば手配してくれると思いますが、私たちにはその手段がないので、かなり特殊な方法でそれを入手しました。
なんと、すべて自分たちで手作りしたのです。「そんなん特殊でもないやろ」と思うかもしれませんが、我々はまず山に入ることから始めたのです(笑)。
その時は岐阜県に住んでいたのですが、先生が「岐阜県産のビリンバウを作る」と言い出してそれにノリノリで乗っかり、まずは木を取ってくるところからだとみんなで山に入りました。ええ金華山です。「めざせ県産ビリンバウ」を合言葉にいい歳こいた大人が山の中で、できるだけまっすぐな木を探したのです。
山の木を無断で切ってはいけないので、落ちている木をひたすら探しました。
そしてやっとの思いで、
・比較的まっすぐ
・程よい太さ
・程よい硬さ
の木を探し出し、ひとり一本ずつ拾って山を降りたのです。「みんなで」と書きましたが実はたった3人しかいませんでした。3人は、杖にするにはちょっと長すぎる感じの木の棒をズルズル引き摺って山を降り、車を止めた駐車場まで少し距離がありましたがそのままズルズルと歩きました。恥ずかしいと思ったら負けです。
そうして手に入れた木を数日乾燥させ、これまた先人たちのやり方に倣って、割れたお皿の欠片(←ここ重要)を使って皮を削り、ニスを塗り革を貼り、古タイヤから取ったアラーミを張ってようやく「県産ビリンバウ」が完成したのです。

因みにカバッサは、先生が自宅の浴槽を犠牲にして作ったもの(数日水に漬け込んで臭い中身を出す)をもらいました。
バケッタはとりあえず菜箸を使っていた気がする・・・。
かくしてメウビリンバウを手に入れた我々はひたすらに弾きまくったのです。
あ、ビリンバウはそこまでこだわって作りましたが、パンデイロはネットで普通に買いました(笑)。
アタバキは、友達がなぜか急にくれたミニジャンベを代わりに使っていました。

これが、突如始まった私のカポエイラ人生の、極めて濃厚な序章のごく一部です。


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