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色の魔法−−−−自分を調整する

500本並んだ色鉛筆の中から、今日の気分にぴったりと当てはまるものを選んで行く。

不思議とそれは毎日違って、必ずいつも好きな色、ではない。それはまるで、自分の中に眠るすべての可能性が顔をのぞかせているかのようだ。

人は何にでもなれる。何になってもいい。と言っているかのように。

ところで。人には7つのチャクラ(気の中心)がある。骨盤底、生殖器から頭頂に至るまでの7色のチャクラは、人によって強弱が異なり、日によってもバランスが違う。

だから、毎日チャクラにあった色のマットを選び、その日のチャクラに合った色の服を着るの。毎日、自分のチャクラの色を観察するのよ。

と、リンダ先生は言った。

この言葉を聞いて、自分のチャクラを観察するようになってから、わたしは寒色系の衣服を身に付けるようになった。20代の頃は自分にとって赤系=戦いの色だったので、赤ばかり身につけていた。好きでもないし、似合うわけでもないのに、せき立てられるように万事、赤を選んでいた。

それを一切やめた。下着からアウター、小物、文房具、すべてに至るまで赤系を排して、もう6年くらい経った。と言っても、「やめる」って決めたルールを守ったとか言うんではなく、毎日「わたしは赤の(赤から橙、つまり骨盤底から生殖器にかけての)チャクラが乱れているか? 抑える必要があるか?」と自分の体に問うと、うん、と毎日答えるので、ああ、まだ赤は身につけられないな、となる。

それがつい最近、臙脂(えんじ。サツマイモの皮の色)がモーレツに身につけたくなったのである。靴、パンツ、Tシャツ、すべて臙脂にした。どうやら今季の流行り色らしく、入手が簡単だったので、ありがたい。

臙脂は、中学生の頃一番好きだった色で、たまたまわたしの学年の体操服がこの色で、カバンやら何やらも好んで同じ色の物を買うので、全身芋色だった。それがおばあさんぽいと言われてから、臙脂のものを買うのを一切やめていたので、今、20年以上ぶりに臙脂のものを買っている。

最近、生殖器とお別れした。手術をしてくれた先生が、わたしの臓器はカッチカチだったと言っていた。

わたしのすべての憎しみ、すべての哀しみ、すべての無茶のツケを、全部引き受けた臓器は、もう体の一部として生きていらんないほどだめになっていたのである。

西洋医学の先生も、東洋医学の先生も、どちらも、さよならをする臓器にちゃんとお別れを告げなさいと言っていた。お別れの前にわたしが言ったのは、大事にしてあげられなくてごめんね。だ。

瑞々しい臓器を壊したのは、自分だ。自分の選んだ生き方が、臓器をだめにした。

実際だめになったものを体の外に出す前には、手術のためにばかすか薬を入れて機能を停止させた。それくらいから、もう、なんだか、自分の中の暴れるチャクラがなくなっていったのかもしれない。

自分の不摂生や、憎しみムカつきに満ちた日々のしわ寄せが行くのは、一番強い臓器である。整体の考えではわたしの体癖(心身のタイプ)は九種に当たり、九種の体の中心は生殖器である。そこがエネルギー循環の中心になっている。

これが壊れたから、体の外に出した。

そうしたら、どうなるのか。

体の一番だめになってる臓器を取り出すことで再起を計ることでもあり、同時にエネルギーの中心がなくなることでもある。

わたしは、新しい体とどのように生きて行くのだろう。

人類学者の方が

「焦らず、のんびり、じっくりと体との対話=フィールドワークをおこなってみてください」

と言ってくれた。その言葉がなければ、わたしはちょっとつらかったと思う。残ったものだけで再編を図らなければならないことや、前にできたことが全部できなくなっていることが、つらかったと思う。

でも、フィールドワーク=未知のものを知るプロセスは、いつだって新鮮で驚きに満ちた楽しいものだ。

わたしは今、自分の新しい体と出会う。それはわたしの知らないものである。

(まりお)