平成ネット史で感じた"社会実装されたTwitter”について言語化してみた

平成ネット史(仮)を視聴してTwitterに感じたことを今回は取り上げてみたいとおもう。

2009年代)気軽なコミュニケーション

気軽な発言ができる場から、雑談&座談に近いコミュニケーションを図ることができた。当時は海外の人がメインに使っていることもあり、海外の人の考えをTwitter越しに感じることができ、感動したキオクがあります。なんたって当時のオバマ大統領にもメッセージを送ることができたんだよ?!すごくないかい

まだ日本人の人の利用も少なかったため、炎上&無法地帯(ルールなし)や企業のアカウント&ビジネス的な発言も少なくブログよりも、さらに手軽なコミュニケーションとしてTwitterは利用していたとキオクしています。


2019年代)議論や考えの共有するプラットフォームへ変化を遂げる

社会実装・ビジネス(主にマーケ)よりへ(個人のマスメディア化)変化を遂げたことにより、”ビジネス的なコミュニケーション”があらたに生まれました。また暗黙のルール(発言に気をつかう)が整備され、以前よりも気軽さは失われたと感じます。気軽なコミュニケーションに赴きをおいていたユーザは多く離脱したのではないでしょうか?

失われたことにさびしさを感じる人もいるでしょうが、失われたことよって"あたらしい価値やできごと"が生まれました。主に3点です。

①日本人のITリテラシーの底上げ

こちらはスマホの普及にあわせて、インターネット⇒怖い、あぶないのしきい値を大幅に下げることができたと思います。

②①より、Twitterの認知が高まり、一般層へメッセージが刺さりやすくなった。情報収集=Twitter

③個人が個人として、企業が企業として世界で闘うことができるフィールド(個々のマスメディア)が整備された


社会実装され、マスメディア化したTwitterとの付き合いかた

Twitterはエンタメ的な空間 ⇒ 商業&マーケ的な空間になりました。興味なくなってしまった人あるいは疲れた人も多くいると思いますが、堀江貴文さんも言ってたとおり、ネットなしの世界で生きることはむずかしい(逃げれない)と感じます。今後も個々のマスメディアとして残っていくTwitterとのつきあいかたを考えなければいけない時期が来ているのかもしれない


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