見出し画像

令和に求められるコミュ力とは

こんにちは、スピーチライターの蔭山洋介です。
コミュ力は本当に鍛えられるのか?その答えはもちろん、Yesです。

しかし、みなさんに気をつけてもらいたいことが一つあります。
それは、コミュ力は時代によって変化している!ということです。
これを間違えると、恐ろしいことが起きてしまいます。

これは本当にあった怖い話です。

とある公共事業で、地域振興の補助金が降りることになったのですが、それには条件がついていました。コミュ力強化の一環としてマナー研修を受けるというものです。名刺の渡し方や、お辞儀の角度など、ビジネスマンであれば知っていた方がいいようなマナーについての研修です。

ところが、このマナー研修を実際に受けさせられたのは、魚屋さんのような地元に密着した商店を長く営んでいる人たちでした。

「いらっしゃい!安くなってるよ!」と声をかけて商売をしている人たちに、果たして、名刺の渡し方や、お辞儀の角度は役立つものでしょうか?

みなさんお気づきの通りで、役に立つはずがありません。
大きな声で、歌うような「いらっしゃい、いっらしゃい」という声に、人は賑わいを感じて足を止めます。丁寧なお辞儀はお店では求められていないのです。ですから、マナー通りに振る舞うと、客離れが進むことになるでしょう。

これはコミュ力がトレーニングされなかったという意味でも、税金の無駄遣いという意味でも、不幸な出来事です。

なぜこのような不幸が起こってしまったのか。

理由は様々あるのですが、根源的な理由は、コミュニケーションをトレーニングするということの意味がよくわからないということに尽きるのではないかと思います。

”コミュ力”と一言でいっても、その内容は時代によって大きく変化しているのです。

このことを理解していないと、魚屋さんに名刺の渡し方、みたいな不幸が起こってしまいます。

そして、この不幸は、魚屋さんだけでの話ではありません。
もっと大規模に、日本中でこの不幸が量産されているように見えます。
コミュ力の内容が変わっていることに、私たちが気がついていないからです。

どのようにコミュ力が変化してきたのかを振り返りながら、令和時代のコミュ力の姿を考察していきたいと思います。

コミュ力という概念さえなかった農村社会

日本は、基本的にはムラ社会です。元々は、みんなで田畑を耕して、「歌って踊って」のお祭りをして一生を過ごしていました。

このような社会では、出世や自己実現といった概念は存在しません。親から農地を引き継いで、自分も農家になるだけです。もちろん漁村でも同じで、漁師の子は漁師になります。実は、現在の発展途上国の多くでも同じような状況にあります。

途上国の田舎で、子供に「将来の夢はなんですか?」と聞くと、日本では、「お医者さん」、「スポーツ選手」などの職業が返ってきます。ところが、発展途上国の農村で同じ質問をすると「ヤギを飼いたい」や「ウシがほしい」などの答えが返ってきます。「職業選択の自由」という言葉も概念もないからです。

このような社会は変化が少なく、新しい人と出会う機会はまれです。新しい出来事や、複雑なサービスをわかりやすく説明するなどという話し方は必要ありません。「話し合い」よりも、村の会合に何回出席したのかというような「付き合い」が重視されます。

「論理的な正しさ」も重要ではありません。それよりも重要なのは、みんなの和を乱さないことです。今でもその名残は色々なところで見受けられますが、たとえ正しいことであっても、村のみんなで決めたことに逆らうと、村八分に遭ってしまいます。

つまり、村社会においてのコミュ力とは、場の調和を乱さない「空気を読む力」のことでした。

マナーが支配する昭和のマチ

ところが戦後になり、農村社会から都市社会へと移行していく中で、人々はコミュニケーションの問題にぶち当たるようになりました。

マチでは、生活をする上で付き合う相手が頻繁に変わります。出世競争が行われ、初めて会う相手に対して商品をセールスする技術が求められます。生まれも育ちもバラバラで、方言も文化も違う人たちが、共通の目的のために協力し、ときには対立しなければなりません。

そこで人々は、より分かりやすく説明する技術や、短時間で打ち解ける社交術を身につけるよう努力を始めます。そういったコミュ力を身につけることで、大きなリターンを得られるようになったからです。高度成長期、標準語講座やマナー研修などのトレーニングが人気を集めたのはそのためです。

バラバラの村から集まってきた人同士が、都市でうまく付き合っていくために、共通のマナーを作り、それを守って調和を保つのがこの時代のコミュ力だったと言えるでしょう。

つながる力と提案の平成

ところが、平成に入ってまもなく、大きく様相が変わります。バブルが崩壊して、社会の流動性が格段に高まったのです。

企業は生き残りをかけて、必死に利益を追求し、不要な人材はカットするようになりました。「会社は家族」と言われていた時代から、「利益を出すための箱」へと変化します。

こうした流れで終身雇用は崩壊し、転職が当たり前となり、引っ越しが増えました。また、95年にはWindows95が発売され、インターネットが身近なものになっていきます。このように人と情報の流動性がどんどん高まることで、「同じ仲間とずーっと付き合っていく」という前提が崩れ始めます。

職場や環境が変わっても、新たな人間と素早く「つながる」こと、より生産性の高い「提案」をすることが求められるようになりました。

しかし、昭和時代の組織はなくなったわけではなく、空気を読むことも同時に求められました。

「空気を読む」ことと、正しい「提案」をすることは、時として真っ向から対立します。組織として空気を読んで決定したことは、合理的でないことが多々あるからです。

平成とは、上司を立てつつ言える範囲で本当のことを言うという、かなり複雑なコミュ力が求められた時代でした。

ですから、平成は、一貫して高いコミュ力が求められ続けたわけです。

令和にもとめられるコミュ力

さてここまで、ムラ社会、昭和、平成と求められるコミュ力の変遷を見てきました。ムラ社会では「空気」が、昭和では「マナー」が、平成では「つながる力」と「提案」が、足し算のように求められるようになり、コミュ力がどんどん複雑になってきたことがわかります。

では、令和はどんなコミュ力が求められるようになるのでしょうか。
さらに複雑なコミュ力が求められるようになるのでしょうか?

実は、令和におけるコミュ力は、これまでとは少し違う様子になると思っています。次回は、令和に求められるコミュ力について考えたいと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?